ジンスハイム
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
市町村連合体:ジンスハイム行政共同体
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度15分19秒 東経08度52分38秒 / 北緯49.25528度 東経8.87722度 / 49.25528; 8.87722座標: 北緯49度15分19秒 東経08度52分38秒 / 北緯49.25528度 東経8.87722度 / 49.25528; 8.87722
標高:海抜 154 m
面積:126.99 km2
人口:

35,707人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:281 人/km2
郵便番号:74889
市外局番:07260, 07261, 07265, 07266, 07268
ナンバープレート:HD
自治体コード:

08 2 26 085
行政庁舎の住所:Wilhelmstrase 14?18
74889 Sinsheim
ウェブサイト:www.sinsheim.de
首長:イェルク・アルブレヒト (Jorg Albrecht)
郡内の位置

地図

ジンスハイム (ドイツ語: Sinsheim, ドイツ語発音: [?z?nsha?im] ( 音声ファイル)[2]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州北西部、ハイデルベルクの南東22km、ハイルブロンの北西28kmに位置する都市である。この都市は、ヴァインハイムに次いでライン=ネッカー郡第二の都市であり、周辺市町村の中級中心都市となっている。1973年1月1日以降は、大規模郡都市に指定されている。この都市は、アンゲルバッハタールツーツェンハウゼンとともに行政共同体を形成している。

ジンスハイムは、特に、ジンスハイム自動車・技術博物館やジンスハイム・メッセで知られている。1973年の郡の再編まで、ジンスハイムは同名の郡の郡庁所在地であった。
地理

ジンスハイムは、ハイデルベルクとハイルブロンの中間、クライヒガウの中心部に位置し、オーデンヴァルトの南端と境を接する。市内を、ネッカー川左岸の支流であるエルゼンツ川が流れている。この川は船舶の航行ができない小さな川で、ネッカーゲミュントでネッカー川に合流する。
隣接する市町村

以下の市町村がジンスハイムと境を接する。東から時計回りに列記する。バート・ラッペナウキルヒャルトイットリンゲンエッピンゲン(以上、ハイルブロン郡)、エストリンゲン(カールスルーエ郡)、アンゲルバッハタールミュールハウゼンディールハイムツーツェンハウゼンヴァイプシュタットネッカービショフスハイム(以上、ライン=ネッカー郡)
市の構成

ジンスハイム市は、中核市区の他、1971年から1973年に合併した市区、アーデルスバッハ区、デューレン区、エールシュテット区、エッシェルバッハ区、ハッセルバッハ区、ヒルスバッハ区、ホッフェンハイム区、ライヘン区、ロールバッハ区、シュタインスフルト区、ヴァルトアンゲルロッホ区、ヴァイラー区からなる。

それぞれの市区には市区住民の選挙によって選出される市区議会が設けられている。市区議会の議長が区長となる。市区議会では、当該市区に関わる懸案事項が審議される。また、各市区議会はさらに、市区に対する市議会の重要決定事項を遂行する役割も担っている。区長は定期的に公聴会も行っている。

市区の他、独自の名称が付けられた住宅地や小集落があるが、そのほとんどは小さな人口しか持たない。ラウホーフ、オイレンホール、アイヒミューレ、ユングホーフ、ノイフェルトジートルング、ビルケナウアーホーフ、ブーヒェナウアーホーフ、インメルホイザー・ホーフ、ハンメラウ、シュロス・ノイハウスなどである。
地域計画

ジンスハイムは、ハイデルベルク上級中心の下位に位置する中級中心都市である。ジンスハイムを中級中心都市とする地域に属する市町村は、いずれもライン=ネッカー郡に属すアンゲルバッハタールエプフェンバッハエッシェルブロンヘルムシュタット=バーゲンロプバッハマウアーメッケスハイムネッカービショフスハイムナイデンシュタインライヒャルツハウゼンシュペヒバッハヴァイプシュタットツーツェンハウゼンである。
歴史
古代

ジンスハイムの成立史上、最もスペクタクルで、最も古い出土品は60万年前にまで遡る。ジンスハイムとハイデルベルクの間にあるマウアー郊外の採石場でホモ・ハイデルベルゲンシスの下顎が発見された。これは、それまでにヨーロッパで発見されたホモ・サピエンスの祖先のうち最古の骨であった。

現在のジンスハイムの市域で最も古い入植の痕跡は、新石器時代から青銅器時代のものである。ジンスハイムおよびその周辺では、紀元前3世紀から紀元前2世紀の、あわせて26の陵墓が発見されており、石器時代の骨壺からは石斧石槍の穂先、その他多くの副葬品が発見されている。

デューレン区には紀元前400年頃のケルト時代の環状壁があり、その傍らからは多くのケルト時代の出土品が発見されている。中には、多くの副葬品が埋葬され「侯爵夫人の墓」のニックネームで呼ばれるものもある。
ローマ時代シュタインスフルトのジュピター柱の複製

西暦70年頃のバタヴィ族蜂起の鎮圧をきっかけに、ローマ人ライン川の東岸数kmにまで支配地域を拡大した。おそらくジンスハイム周辺地域は、この時点でローマ帝国の支配下に入ったと考えられる。遅くとも98年までにはトラヤヌス帝によってローマ帝国の国境はオーデンヴァルトおよびネッカー川まで前進し(リーメス参照)、この地域はローマ帝国の一部となった。現在のジンスハイムは、Agri decumatesと呼ばれるこの新しい領土の真ん中にあたる。ジンスハイムから出土したローマの四神像には、この入植地についてSaliobrigaの名称がある。ジンスハイム市内に遺る農場建築の基礎構造や、シュタインスフルト区から出土した南ドイツで発掘されたものとしては最大のジュピター柱もローマ時代の証人である。

ネッカーリーメスが陥落し、ローマ人が退却した259年から260年ゲルマン民族アラマン族)が現在のジンスハイム地域に侵入した。3世紀頃のアラマン族の入植地跡が遺されている。500年頃ここにフランク族が侵攻し、550年頃にはすでに、現在の中核市区にあたる場所に最初の入植地を築いた。

ジンスハイムの入植はエルゼンツ川沿いになされた。マクデブルクからライプツィヒを経由してヴュルツブルク、さらにはバーゼルに至る広域街道が造られたが、この街道はハイルブロンからシュタインスフルトを経由してジンスハイムへと延びていた。
770年、最初の記録

ジンスハイムは、770年のロルシュ文書に初めて記録されている。この文書は、ある人物が「Sunnisheim」の1フーフェの土地をロルシュ修道院に譲渡したというものである。大規模なフランク族の墓がこの時代を物語っている。この村はエルゼンツガウの中心地として古くから重きをなした。おそらくガウの伯の拠点があったと推測されている。908年頃にコンラート・フォン・ヘッセンによってジンスハイムに城が築かれ、村は防壁で囲まれた。
1000年頃、修道院創設

ガウの伯オットー・フォン・ケルンテン(948年頃 - 1004年)はシュティフツベルクに修道院と教会を創設した。教会は最初ヴォルムス司教区に属した。オットーの没後、1024年にラインフランケンの領主ザリエリ家の統治に移り、クライヒガウとその周辺の領地はツァイゾルフ=ヴォルフラム家のヴォルフラム伯にレーエンとして与えられた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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