ジロ・デ・イタリア
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2024年大会についてはジロ・デ・イタリア2024を参照1970年代の自動車レースについてはジーロ・アウトモビリスティコ・ディターリア(イタリア語版、英語版)を参照

ジロ・デ・イタリア概要
開催時期5月上旬-5月下旬
(23日間、年によって6月にまたがる)
開催地域 イタリア
地域名Giro d'Italia (イタリア語)
愛称ジロ
分野ロードレース
カテゴリーUCIワールドツアー
グランツール
形態ステージレース
主催者RCSスポルト
歴史
初回開催年1909年
開催回数106回(2023年)
初代優勝者 ルイジ・ガンナ
最多優勝者5回:
アルフレッド・ビンダ
ファウスト・コッピ
エディ・メルクス
直近優勝者 プリモシュ・ログリッチ(2023年)
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ジロ・デ・イタリア(: Giro d'Italia)は、毎年5月にイタリア全土を舞台にして行われるプロ自転車ロードレース1909年から開催されている。主催はイタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト』等を発行するメディアグループ・RCSの関連会社であるRCSスポルト社。

Giro d'Italia のイタリア語での発音は「ジーロ・ディターリア」である。「ジロ・デ・イタリア」という表記は日本独特なものだが、最近は日本でもイタリア語が知られるようになったため、イタリア語の発音を基にした「ジーロ・ディターリア」や、「ジロ・ディ・イタリア」という表記も見られるようになってきた[1]。通称は「ジロ」。
概要2008年のコース

毎年5月に約3週間かけて行われるステージレースで、コースは毎年新たに設定される。「イタリアを一周する」という表現がされることもあるが各ステージは地理的には連続していないことも多く、サルデーニャ島シチリア島など島でのステージもある。ステージ数は通常21。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされている。

総合成績1位の選手にはピンク色のジャージ「マリア・ローザ」が与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。

賞金総額は年によって上下するが、2004年の場合で約133万ユーロ。配分は各ステージ25位までの勝者に支払われる金額が合計47万4000ユーロ。総合優勝者15万ユーロやインテルジロ賞13万ユーロなど各賞の合計が62万3000ユーロ。チームへの賞金が合計23万3000ユーロとなっている。
特徴厳しい坂が続くステルビオ峠

ツール・ド・フランスに比べ勾配の厳しい坂を登る山岳ステージが多いため[2]、上りを得意とするクライマーが活躍する機会が多い。1990年クラウディオ・キアプッチ1995年トニー・ロミンゲル1998年マリアーノ・ピッコリ2003年ジルベルト・シモーニ2009年ダニーロ・ディルーカ2010年カデル・エヴァンスのように厳しい山岳コースが設定された年は山岳賞はおろかポイント賞すらクライマーやオールラウンダーが獲得してしまうこともあるが、これは2013年まではツール・ド・フランスとは異なり山岳ステージも平坦なステージも同じポイントが設定されていたためでもある。また平坦ステージであってもゴール直前だけ上り坂であったり、ゴールまで1kmを切ったところに急カーブが登場するなど危険かつ癖のあるコースレイアウトがしばしば採用される。

また5月はドロミーティを始めとしたアルプス山脈及びアペニン山脈にはまだ雪の残っている場所もあり、選手は坂だけでなく厳しい寒さや悪天候とも戦うことになる[3]。そのためイタリア人からは「ツール・ド・フランスが世界最大のレースなら、ジロ・デ・イタリアは世界最高のレース」と評される。

イタリア人選手の多くがこのレースをシーズン中の最大目標としており、歴代優勝者に占めるイタリア人の割合も圧倒的に多い。イタリア以外の選手が初めて優勝したのが1950年で、2017年現在31回しかない。近年は1997年以降、2007年までの総合優勝者はすべてイタリア人で、国際化が著しく優勝者の国籍も多様になる傾向があるロードレースの世界において、これは非常に珍しいケースである。
歴史

第1回大会は1909年に行われミラノから出発し、合計走行距離は2,408kmだった。8区間で争われ、優勝選手の平均走行時速27.26kmだった。1915年から1918年までは第一次世界大戦により中断されている。

1933年は17ステージ・合計3,343kmで行われ、この時はアルフレッド・ビンダが通算5回目となる優勝を飾っている。

1941年から1945年までは第二次世界大戦により再び中断。1947年は19ステージ・合計3,843kmで行われ、この時はファウスト・コッピが2回目の優勝を果たした。以後もコッピの活躍は続き、1953年には史上2人めの5回目の優勝を達成している。

1970年代前半はエディ・メルクスの独擅場となり、1972年から1974年には3連覇を達成。1974年は史上3人目となる5回目の優勝に加えてツール・ド・フランスと世界自転車選手権プロロードレースも制覇しており、史上初のトリプルクラウン達成を遂げた。

1980年代前半はベルナール・イノーが3回の優勝を遂げている。また1987年の優勝者ステファン・ロッシュは史上2人目のトリプルクラウン達成者となった。

1990年代に活躍した選手としてはミゲル・インドゥラインマルコ・パンターニがあげられインドゥラインは1992年1993年、パンターニは1998年にツール・ド・フランスでも優勝してダブルツールを達成している。

2004年は合計走行距離3,423.9 km、20区間で行われ参加選手169名のうち140名が完走した。総合優勝は22歳の新人ダミアーノ・クネゴジルベルト・シモーニのアシストとして働く予定だった彼がステージ4勝をあげて総合優勝するとは誰も予想しておらず、大きなニュースとなった。

2005年パオロ・サヴォルデッリとシモーニの争いとなり、終盤シモーニが猛追するも結局サヴォルデッリが2002年以来2度目の優勝を飾った。

2006年イヴァン・バッソが他を寄せ付けない強さで、2007年ダニーロ・ディルーカが堅実なレース運びで総合優勝を遂げている。

2008年は前年度のツール・ド・フランスを制したアルベルト・コンタドールがイタリア人以外では12年ぶりの総合優勝者となった。

2009年デニス・メンショフがディルーカとの熾烈な争いを制して優勝した。

2010年は相次ぐ大波乱の展開の末、バッソが2回目の総合優勝を飾った。

2011年は第3ステージでワウテル・ウェイラントが落車により死亡する事故が発生し、第4ステージがノーコンテストステージとなる波乱があった。総合優勝は当初アルベルト・コンタドールが獲得したが、後にスポーツ仲裁裁判所(CAS)により2010年のツール・ド・フランスでのクレンブテロール陽性を認定されて2年間の出場停止処分が下され、2011年の大会は出場停止期間中に該当するため成績無効となり、ミケーレ・スカルポーニが繰り上がって総合優勝者に認定された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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