ジレ
Zile
夜間のジレの中心部
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国 トルコ
県トカット県
郡ジレ郡
標高710 m
人口(2007)
? 合計68,937人
等時帯UTC+3 (FET)
Postal code60400
ジレ(Zile)(トルコ語の発音:ズィレ)は、トルコの郡および同名の都市。トカット県に属し、古代にはゼラ(Zela)の名前で呼ばれていた。長い歴史の中でユリウス・カエサルの「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」の言葉で知られるゼラの戦いの舞台となった[1]。現在のジレは農業、流通、観光の中心地となっている。
歴史カエサルの「来た、見た、勝った」の言葉が刻まれた石碑
近年実施された考古学調査で、新石器時代に人類がジレに居住していた痕跡が確認されている[2]。古代ギリシアの学者ストラボンは『地理誌』の中で、アッシリアの伝説的な女王セミラミスによってジレが建設された伝承を記している[3][4]。紀元前548年にジレが位置するアナトリア半島はアケメネス朝ペルシアの支配下に置かれていた。ペルシアの統治の痕跡は郡内の王の道の遺構、都市内のアナーヒターなどのペルシアの神を祭った寺院などに見られる。アケメネス朝の君主ダレイオス1世は大アナトリア州を2つのカッパドキアに分割し、ジレは北部地域のポントス・カッパドキアに区画される。
およそ200年のペルシアの統治の後、ゼラは紀元前334年のグラニコス川の戦いに勝利したマケドニア帝国のアレクサンドロス3世の支配下に入る。紀元前332年にアレクサンドロスが没して帝国が分裂した後、ゼラはセレウコス朝シリアの支配下に入った。セレウコス朝は200年にわたってゼラを支配したが、紀元前100年頃にセレウコス朝の支配力は弱体化し、カッパドキア人はローマに援助を求めた。スッラが率いるローマ軍とポントス王ミトリダテス6世の間に勃発した第一次ミトリダテス戦争においてローマ軍は勝利を収める。紀元前67年にミトリダテスは同盟者であるアルメニア王国のティグラネス2世の援軍とともに再びゼラを攻撃したことで第三次ミトリダテス戦争が始まり、グナエウス・ポンペイウスが率いるローマ軍はミトリダテスに勝利を収め、紀元前63年にミトリダテスは自害する。ローマの支配以前のゼラについて、ストラボンは町はペルシアの神々を祭る場所として扱われ、住民は支配者である祭司と多数の神殿奴隷で構成されていたと記している[5]。ローマがポントスと結んだ和約において、ゼラはポンペイウスから市民組織とエパルキア(属領、土地)を授与され、神殿の私領から都市に転換した[6]。
紀元前49年にローマのユリウス・カエサルとポンペイウスの間に内戦が勃発し、ミトリダテスの子ファルナケス2世はローマ人が内戦に気を取られている好機に乗じて父の復讐に乗り出した。しかし、ファルナケスの反撃は紀元前47年のゼラの戦いでカエサルによって食い止められ[7]、4時間におよぶ戦闘の末にカエサルはファルナケスの軍を壊滅させる[8]。この勝利の後、カエサルはローマの元老院に「来た、見た、勝った(Veni, vidi, vici)」という有名な言葉を報告した[1]。カエサルの言葉は大理石の円柱に刻まれ、円柱はゼラ城の中に置かれたと伝えられている[9]。
241年にサーサーン朝の王シャープール1世はローマ皇帝ウァレリアヌスを破り、ゼラを獲得した。241年から1071年の間、ジレは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)とサーサーン朝によって交互に支配される。