ジョー・マクギニティ
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ジョー・マクギニティ
Joe McGinnity

基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国
イリノイ州ロックアイランド
生年月日1871年3月20日
没年月日 (1929-11-14) 1929年11月14日(58歳没)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
206 lb =約93.4 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
初出場1899年4月18日
最終出場1908年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ボルチモア・オリオールズ(1899)

ブルックリン・スパーバス(1900)

ボルチモア・オリオールズ(1901 - 1902)

ニューヨーク・ジャイアンツ(1902 - 1908)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1946年
選出方法ベテランズ委員会選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ジョセフ・ジェローム・"ジョー"・マクギニティ(Joseph Jerome "Joe" McGinnity、 1871年3月20日 - 1929年11月14日)は、アメリカ合衆国イリノイ州ロックアイランド出身のプロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

"Iron Man"(鉄人)のニックネームを持つ。MLB実働12年で5度の最多勝利を獲得、マイナーリーグを含むと485勝を挙げた。
目次

1 経歴

2 詳細情報

2.1 年度別投手成績

2.2 獲得タイトル・記録

2.3 打撃成績


3 関連項目

4 外部リンク

経歴

メジャーデビューは1899年、彼が28歳の時で、いきなり28勝を挙げリーグ最多勝投手になった。同年所属していたボルチモア球団が消滅、翌年ブルックリンに移り、デビューから2年続けて最多勝投手となる。

現ヤンキースの前身であるボルチモア・オリオールズに在籍していたが、1902年ニューヨーク・ジャイアンツに引き抜かれた。翌1903年から1907年まで、登板試合数は5年続けてリーグ最多、投球回も5年続けて300イニングスを超えるなどかなりの登板数をこなす一方で、1903年と1904年には30勝以上をあげてリーグ最多勝、1905年にはワールドシリーズ出場も果たした。ワールドシリーズは17回を投げ自責点はゼロながら、1勝1敗の成績だった。彼は持ち前のタフな肩で、よくダブルヘッダーに続けて登板することがあった。1903年には、「ダブルヘッダー2連勝」を6度、うち3度はわずか1か月の中で達成し、ファンから「鉄人」と呼ばれるようになった。マクギニティが「鉄人」と言われるようになった由来は、元々彼がオフシーズンの間工場で働いていたからだが、それがいつからか彼自身のタフな肩のことを指すようになっていったという。

メジャーリーグには1908年まで12年在籍し、その後はマイナーリーグで54歳まで投げ続け、54歳のシーズンに6勝をあげている。マイナーでも相変わらずダブルヘッダーを続けて投げることがあり、マイナーリーグではダブルヘッダー2連勝を、44歳の時にやってのけたことがある。1929年にニューヨーク州ブルックリンで、58歳で死去。1946年ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
詳細情報


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