ジョー・ディロン
Joe Dillonカンザスシティ・ロイヤルズ コーチ
ワシントン・ナショナルズでのコーチ補佐時代
(2019年4月8日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州スタニスラウス郡モデスト
生年月日 (1975-08-02) 1975年8月2日(48歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手、外野手、二塁手、一塁手
プロ入り1997年 MLBドラフト7巡目
初出場MLB / 2005年5月18日
NPB / 2006年5月5日
最終出場MLB / 2009年8月4日
NPB / 2006年8月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
カージナル・ニューマン高等学校
ジョゼフ・ウィリアム・ディロン(Joseph William "Joe" Dillon, 1975年8月2日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州スタニスラウス郡モデスト出身の元プロ野球選手(ユーティリティプレイヤー)、野球指導者。右投右打。2020年シーズンよりMLBのフィラデルフィア・フィリーズで打撃コーチを務める。
経歴
現役時代タンパベイ・レイズ時代
(2010年3月7日)
1997年のMLBドラフト7巡目(全体211位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、プロ入り。故障により一度引退→地元アマチュアチームのコーチ→再契約という経緯を持ち、プロ入りから8年目にしてメジャー昇格した苦労人である。
2006年1月5日に読売ジャイアンツへの入団が発表された。巨人では主に左翼・三塁を守った。巨人が新ルートで獲得した1人目の「助っ人」のため、推定年俸は4,000万円と格安であった。清原和博が前年まで着けていた背番号5をそのまま与えられ、初出場後数試合は期待に違わない活躍をしたものの、日本でも腰痛に苦しめられ、数試合で体調を維持できず登録抹消されてしまう。特に守備面でエラーを頻発し、それが原因でチームも連敗を繰り返したため、スポーツ新聞やファンから連日のように槍玉に挙げられていた。
一軍再登録後も持病の腰の故障が再発して満足にプレー出来ず、同年9月2日にウェイバー公示され、11月2日に退団が発表された。
巨人退団後の翌2007年はミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約し、同年にメジャー復帰を果たした。
2009年はオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んで開幕から傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツに所属していた(プレーはせず)が、5月10日にアダム・ケネディとのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した。しかし、8月8日にレイズからDFAとなり[1]、12日にマイナー契約で傘下のAAA級ダーラム・ブルズへ配属された[2]。2010年はレイズとマイナー契約で再契約した。一年間AAA級ダーラムでプレーし、この年限りで引退した。 引退後はワシントン・ナショナルズ傘下のAAA級シラキュース・チーフスの打撃コーチ(2014年 - 2015年)とマイアミ・マーリンズの打撃コーディネイター(2016年 - 2017年)を務めた後[3]、2018年からはナショナルズの打撃コーチ補佐となり[4]、2年間務めた。 2020年シーズンからはフィラデルフィア・フィリーズの打撃コーチを務める[5]。 選球眼が良く広角に打ち分ける中距離打者だった。 年
引退後
プレースタイル
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
2005FLA27393666101101001010183.167.211.278.488
2006巨人3195879173122870000800174.195.263.322.585
2007MIL398276122682038100000501142.342.390.500.890
2008569075131630122610101301211.213.337.293.630
2009TB15353049001122000030241.300.400.400.800
MLB:4年13724621735571223821910202205477.263.344.378.722
NPB:1年3195879173122870000800174.195.263.322.585
年度別守備成績
Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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