ジョー・ディマジオ
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ジョー・ディマジオ
Joe DiMaggio
1951年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州マーティネズ
生年月日1914年11月25日
没年月日 (1999-03-08) 1999年3月8日(84歳没)
身長
体重6' 2" =約188 cm
193 lb =約87.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り1936年
初出場1936年5月3日
最終出場1951年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴


ニューヨーク・ヤンキース(1936 - 1942, 1946 - 1951)

コーチ歴


オークランド・アスレチックス(1968 - 1969)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1955年
得票率88.84%
選出方法全米野球記者協会選出
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

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映像外部リンク
ディマジオの特集。1分14秒以降に貴重な現役時代のプレー映像。2分52秒頃では1947年のワールドシリーズで本塁打性の打球を「アル・ジオンフリードのザ・キャッチ」で好捕され、珍しく感情を露わにする(WatchMojo.comがアップロードした動画)
1995年のディマジオのSSスピーチ(TheSportsSpectacularがアップロードした動画)

ジョセフ・ポール・ディマジオ(Joseph Paul DiMaggio, 1914年11月25日 - 1999年3月8日)は、MLBの元プロ野球選手外野手)。カリフォルニア州マーティネズ出身。ニックネームは「ヤンキー・クリッパー(The Yankee Clipper)」「ジョルティン・ジョー(Joltin' Joe)」。右投右打。

56試合連続安打MLB記録保持者。
経歴
生い立ち

ジョー・ディマジオは漁師ジュゼッペ・ディマジオの四男(9人の兄弟姉妹の中で8番目)として生まれた[1][2]。父ジュゼッペと母ロザリー(ロザリア)はシチリア出身の貧しい移民夫婦であったが、5人の息子の内ジョーを含め3人のメジャーリーガーを輩出した[2]
現役時代ディマジオの背番号「5」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番1951年指定。

1932年10月、兄のビンス・ディマジオが所属していたパシフィックコーストリーグサンフランシスコ・シールズと契約。この年はシーズン終了間際だったので3試合に出場したのみだったが、翌1933年は187試合に出場、5月27日から7月25日まで61試合連続安打を記録[3]するなど打率.340、259安打、28本塁打を記録した。

1934年はシーズン途中で膝を故障。シーズン後、チームはニューヨーク・ヤンキースとの間でディマジオ1人と、4人+5,000ドルを交換するトレードを成立させた。1935年はケガをした膝の具合を見る意味もあり、そのままシールズでプレーする。172試合で打率.398、34本塁打、154打点を記録してリーグMVPとなった。

ベーブ・ルースの引退後の1936年、ヤンキースからメジャーリーグにデビューし、打率.323、29本塁打、125打点とルースの穴を埋めて余りある成績を残した。翌1937年には46本塁打を放ち、メジャー2年目で本塁打王となる。MVPは打率.371の首位打者チャーリー・ゲーリンジャーにわずかに及ばず逃したが、ルー・ゲーリッグがシーズン途中で引退した1939年には、いずれも初のMVPと首位打者に輝き、両雄の居なくなったヤンキースのナンバーワン・プレイヤーとなる。1936年から1939年までのチームのワールドシリーズ4連覇に大きく貢献した。

1941年には56試合連続安打を達成。この連続試合安打記録はメジャー記録であり、現在も破られていない。期間中の安打数は91で、4安打が4試合、3安打が5試合、2安打が13試合、1安打が34試合であった(なお、57試合目で3打数0安打で記録が途絶えた次の試合から再び16試合連続で安打を放っている)。

その後も本塁打王や打点王を獲得するなど活躍。ヤンキース一筋で、現役の間、チームの9回のワールドシリーズ制覇に大いに貢献した。全盛期の期間に第二次世界大戦の従軍で3年間プレーしない時期があったこともあり、実働期間は13年と短かったが、球界を代表するスーパースターとして活躍し続けた。

1950年11月1日レフティ・オドールらとともに来日。日本で野球のデモンストレーションを行うことと朝鮮半島に展開する国連軍への慰問などを目的としたものであった。東京では、ダグラス・マッカーサーへの表敬訪問を行ったほか、朝日新聞を訪問して市民への挨拶を行うなど、同月13日に福岡から朝鮮半島へ向かうまで各地の行事に出席した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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