ジョー・サイズマン
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ジョー・サイズマンJoe Theismann
2003年
基本情報
ポジションクォーターバック
生年月日 (1949-09-09) 1949年9月9日(74歳)
出身地 アメリカ合衆国
ニュージャージー州ニューブランズウィック
身長:6' 0" =約182.9cm
体重:192 lb =約87.1kg
経歴
大学ノートルダム大学
NFLドラフト1971年 / 4巡目全体99位
所属歴

1971?1973トロント・アルゴノーツ(CFL)
1974?1985ワシントン・レッドスキンズ

受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(1回)
第17回
シーズンMVP(1回)
1983
オールプロ選出(1回)
1983
プロボウル選出(2回)
1982,1983
NFL 通算成績

TD?INT160?138
パスヤード25,206
レーティング77.4
Player stats at ⇒NFL.com


カレッジフットボール殿堂入り

ジョー・サイズマン(Joseph Robert Theismann, 1949年9月9日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューブランズウィック出身のアメリカンフットボールの元選手・評論家・企業スポークスマン・レストラン経営者である。クォーターバックとして、CFLNFLで15年間プレーした。NFLではワシントン・レッドスキンズに12シーズン所属し、2年連続スーパーボウル出場と第17回スーパーボウル制覇に貢献した。2003年にカレッジフットボール殿堂入り。

1985年に怪我により引退した後は、20年間ESPNでスポーツキャスターを務めた[1]。2011年からは、レッドスキンズのプレシーズン番組を担当し[2]、NFLネットワークの様々な番組でアナリストとしても出演している[3]

サイズマンは元NFL選手としての活動だけでなく、1975年設立のレストランを経営していることが知られており[4][5]、様々な企業のイベントでスポークスマンを務めることでも知られている[6][7]
経歴
プロ入りまで

オーストリア人の父親とハンガリー人の母親の間に生まれた彼はニュージャージー州サウスリバーで成長した。地元の高校に進学した彼は野球、バスケットボール、アメリカンフットボールをプレーした。高校時代のチームメートにはドリュー・ピアソンがいる。ノートルダム大学より奨学金のオファーを受けて進学した。大学では2年次のシーズン途中にテリー・ハンラティが負傷した後、先発QBを務め残り3試合で2勝1分の成績を残した。3年次の1969年、彼はチームを全米ランクで5位に導いたがコットンボウルではテキサス大学に17-21で敗れた。4年次の1970年、彼はUSC戦で大学記録となる526ヤードを獲得するなど、同じく大学記録となるシーズン2.429ヤード、16TDパスをあげて、チームを10勝1敗で全米ランク2位に導いた。この年もコットンボウルでテキサス大学と対戦、24-11で勝利した。この年彼はオールアメリカンに選ばれるとともに、ハイズマン賞の投票でもジム・プランケットに次ぐ2位の得票を得た。大学では先発QBとして20勝3敗2分、4,411ヤードを獲得、31TDパスをあげた。4,411ヤードはノートルダム大学の歴代5位の記録となっている。なお、4年次のシーズン前に、名字の発音をもともとの「シーズマン(THEES-man)」から、ハイズマンに韻を踏んだ「サイズマン」に変えている。

2003年にカレッジフットボール殿堂入りを果たした。ノートルダム大学のQBで殿堂入りを果たしたのはアンジェロ・ベルテリ、ジョン・ルジャック、ポール・ホーナングらに次いで彼で8人目であった。
CFL時代

1971年のNFLドラフト4巡でマイアミ・ドルフィンズ1971年のMLBドラフト39巡でミネソタ・ツインズに指名されたが、ドルフィンズでは既にボブ・グリーシーが先発QBとして活躍し、サイズマンをWRに転向させることも考えていたことため、CFLトロント・アルゴノーツと年5万ドルで契約した。この年チームは10勝4敗でグレイ・カップに出場したがカルガリー・スタンピーダーズに11-14で敗れた。この年彼はパス278回中148回成功、2,440ヤード、17TD、21INTの成績を残した。

1972年は怪我のためパス127回中77回成功、1,157ヤード、10TDに数字を落とした。

1973年はパス274回中157回成功、2,496ヤード、13TD、13INTの成績を残した。1971年と1973年はCFLのオールスターに選ばれた。
ワシントン・レッドスキンズ

1974年にワシントン・レッドスキンズが1976年のドラフト1巡指名権とのトレードでサイズマンとの交渉権を獲得した。(ドルフィンズはこの指名権で後にラリー・ゴードンを獲得する。)レッドスキンズには既にソニー・ジャーゲンセン、ビリー・キルマーというベテランQBがいたが、「年寄りなどすぐに追い抜ける」とサイズマンが口を滑らせたため、2人が意地になって活躍(ジャーゲンセンは40歳のシーズンにQBレイティング1位の成績を残して引退する)。そのため、サイズマンは1年目1974年にQBとしての出番は少なく(パス9/11 1TD)、怪我をしたパントリターナーの代わりに出場することもあった。

1978年にビリー・キルマーに代わりエースQBとなった。

ストライキで短縮された1982年シーズンにチームは第17回スーパーボウルに進出、マイアミ・ドルフィンズを17-13で破り40年ぶりにNFLチャンピオンとなった。この試合で彼は2TDをあげた。

1983年、シーズンMVPに選ばれる活躍を見せて、チームを第18回スーパーボウルに導いたが、オークランド・レイダースに敗れて連覇は果たせなかった。
キャリアを終わらせた負傷

1985年11月18日のマンデーナイトフットボールニューヨーク・ジャイアンツ戦でローレンス・テイラーとハリー・カーソンにサックされた際、右足の脛骨を骨折した。そのプレーではレッドスキンズはフリーフリッカーのプレーをコール、サイズマンがFBジョン・リギンズにハンドオフした後、リギンズからサイズマンに戻すトリックプレーであったが、ジャイアンツの守備陣はだまされず、サイズマンにブリッツし、テイラーの膝がサイズマンの足に当たった。この時の負傷がもとでサイズマンは36歳で現役を引退した[8]

2009年に全米で公開された映画『しあわせの隠れ場所』では彼が負傷したこのプレーがハイライトとして流される。このプレーを機に右利きのQBのブラインドサイドを守るレフトタックルの重要性が増した[9]

2018年11月18日に同じレッドスキンズのQBアレックス・スミスヒューストン・テキサンズのカリーム・ジャクソンとJ・J・ワットにサックされた際、同様の怪我を負っている[10]
解説者として

現役時代の1985年1月に行われた第19回スーパーボウルの放送に加わっている。現役選手でスーパーボウルの中継に出演したのは第2回スーパーボウルでのジャック・ケンプ以来となる2人目のことであった。

1986年、1987年はCBSのNFLカバレッジで解説者を務めた。また1988年から2005年まではESPNサンデーナイトフットボール、2006年はマンデーナイトフットボールで解説を務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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