ジョー・クローニン
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ジョー・クローニン
Joe Cronin
1937年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日1906年10月12日
没年月日 (1984-09-07) 1984年9月7日(77歳没)
身長
体重5' 11.5" =約181.6 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
プロ入り1925年
初出場1926年4月29日
最終出場1945年4月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴:

ピッツバーグ・パイレーツ (1926 - 1927)

ワシントン・セネタース (1928 - 1934)

ボストン・レッドソックス (1935 - 1945)

監督歴:

ワシントン・セネタース (1933 - 1934)

ボストン・レッドソックス (1935 - 1947)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1956年
得票率78.76%
選出方法BBWAA選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ジョー・クローニン (Joseph Edward Cronin, 1906年10月12日 - 1984年9月7日) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身のプロ野球選手遊撃手)、プロ野球監督アメリカンリーグ会長。右投げ右打ち。
経歴

1926年にパイレーツからデビュー。ピッツバーグ・パイレーツには2年在籍したが目立った活躍はできず、1928年のシーズン直前にマイナーのカンザスシティ球団を経てワシントン・セネタースに移籍する。1929年にショートのレギュラーに定着、翌1930年打率.346、203安打、126打点を挙げ、その年のスポーティングニュース誌の年間最優秀選手となる(正式な最優秀選手表彰が始まったのは、この翌年の1931年のことである)。クローニンはこの年から5年連続で100打点を記録する。

1933年にはセネタースの監督を兼任、同年チームをワールドシリーズ出場に導いたが、翌年オフに、セネタースのオーナーだったクラーク・グリフィスの意向によりボストン・レッドソックストレードされる。レッドソックスでは選手兼任監督として1945年まで試合に出場した。監督兼任時代の1943年6月17日のダブルヘッダーでは、両方の試合で代打本塁打を放った記録がある。

レッドソックスの監督は1947年まで勤めたが、成績はリーグ2位が最高、というシーズンが続く。当時レッドソックスのゼネラルマネージャーだったエディ・コリンズの補強が功を奏し、アメリカンリーグを制することができたのは監督就任12年目の1946年のことになる。監督退任後は1958年まで、コリンズの後をついで球団のゼネラルマネージャーをしていた。

1956年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出される(同年はハンク・グリーンバーグも殿堂入りしている。


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