ジョー・アドニス
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ジョー・アドニス

ジョー・アドニス(Joe Adonis, 1902年11月22日 - 1972年11月26日)は、イタリアおよびアメリカの犯罪組織コーサ・ノストラの幹部。本名はジュゼッペ・アントニオ・ドート(Giuseppe Antonio Doto)。
プロフィール
初期

ナポリの近くのモンテマラーノで生まれた。幼いころからスリなどの犯罪に手を染め、1915年、一家でアメリカに不法入国しブルックリンに定住した。アンソニー・カルファノと共にフランキー・イェールの用心棒を請け負い、ジョー・アドニスと名乗った。1928年7月のイェール暗殺後、カルファノと共にシチリア系のジョー・マッセリアの傘下に入った。その頃キャロルストリートにレストランを開店した(Joe's Italian Kitchen)。レストランには地元政治家が群がった。警察幹部や政治家に積極的に働きかけ、政界フィクサーとして動いた[1]。レストランを隠れ蓑に賭博や売春、密輸などで金儲けした。稼いだ金で煙草自販機ビジネスに参入し、中古車販売所を3つ営業した[2]。酒や麻薬の密輸を通じ、ラッキー・ルチアーノフランク・コステロヴィト・ジェノヴェーゼらと知り合った[3]
ルチアーノ一家幹部

マッセリアがライバルのサルヴァトーレ・マランツァーノとの抗争で形勢不利になると、ルチアーノと共にマッセリアから離反した。1931年4月15日コニーアイランドでマッセリアが暗殺され、部下の裏切りによるものとされるが、一説に、アドニスも協力したとされる[注釈 1]

1931年9月、ルチアーノがマランツァーノをも暗殺してコーサ・ノストラの頂点に立つと、1932年からルチアーノ一家の幹部としてカルファノと共にブルックリンの縄張りを任された。またマーダー・インクの創設に関わり、その幹部となった。1936年ルチアーノが売春の罪で収監された後、間もなく代理ボスになったコステロの下で他のマフィアファミリーやユダヤ系ギャングへの外交窓口になった。またブルックリンの政界フィクサーとしての地位を不動にした[4]。1946年、コステロが正式に一家を継いだ後も地位を保った。

1930年代後半、トーマス・デューイのギャング狩りのターゲットになった。1937年のニューヨーク市長選で現職市長のフィオレロ・ラガーディアを見捨て反対勢力を支援したことでラガーディアの恨みを買った。両者の攻勢が激しくなったためニュージャージーに拠点を移した[2]。自動車のフォード社と独占契約を結び、ニュージャージーの同社エッジウォーター工場の新車の配送を一手に引き受けた[5][注釈 2][注釈 3]。アメリカ北東部一帯のカーディーラーのネットワークに影響力を強め、客が車を購入する際に偽の「保険」をかけて金を搾り取った。1940年に誘拐や強請で告発された時、数多くの合法ビジネスと非合法ビジネスを持ち、年収は50万ドルを超えると報じられた[8]

カジノ事業は、1933年にルチアーノ、マイヤー・ランスキー、コステロらと共にサラトガ・スプリングズで本格的なカジノ経営に参入した(パイピングロックなど)のを皮切りに、フロリダ州ルイジアナ州カリフォルニア州などにカジノの拠点を広げた[9]。コステロやランスキーと共にマイアミのカジノ、コロニアル・インの共同オーナーに名を連ねた[3]

1944年、フォート・リーの高級住宅街に豪邸を建て、ビジネスの拠点も完全にニュージャージーに移した[4][10]ウィリー・モレッティらと賭博利権を分かち合い、モレッティを通じて地元の政治家、警察幹部や検察官と人脈を築いた。ニュージャージーの風紀取締りはニューヨークに比べて緩やかで、地下賭博で恩恵を受けた[4]。裕福で浪費家のスポーツマンらを対象に、ハドソン川を越えてニュージャージーのカジノまでリムジンで送迎するシャトルサービスを行っていた[11]

1940年代半ばにニューヨーク市長になったウィリアム・オドワイアーやその側近ジェームス・J・モランと親交があり、一緒にいるところをたびたび目撃された[4][9]。一説にブルックリンの警官だったオドワイヤーを判事に担ぎ上げるなどその政治家キャリアをバックアップしたのがアドニスとされる[12]。キューバのハバナ会議では、1946年に釈放されたルチアーノを歓待した。1941年政府密告者エイブ・レルズがアドニスを「アメリカで最も力のあるギャングの一人」と名指しされたが、摘発は免れた。1940年代後半、当時まだ新興ビジネスだったテレビ機器メーカーに投資した[9]


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