ジョーン・ファインマン
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Joan Feynmanジョーン・ファインマン
ジョーン・ファインマン(2015年1月)
生誕 (1927-03-31) 1927年3月31日[1]
アメリカ合衆国 ニューヨーク市クイーンズ区[2]
死没

2020年7月21日(2020-07-21)(93歳)[2][3]
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ベンチュラ
国籍 アメリカ合衆国
研究分野天体物理学
研究機関アメリカ大気研究センター
アメリカ国立科学財団
ボストンカレッジ
ジェット推進研究所
出身校オーバリン大学 (BS)
シラキュース大学 (MS, PhD)
論文Infrared lattice absorption in crystals of diamond structure (1958)
博士課程
指導教員メルヴィン・ラックス(英語版)
主な業績オーロラ太陽風に関する研究
主な受賞歴NASA Exceptional Achievement Medal
プロジェクト:人物伝
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ジョーン・ファインマン(Joan Feynman、1927年3月31日 - 2020年7月21日)は、アメリカ合衆国天体物理学者である。太陽風の粒子と場、太陽地球の関係、磁気圏の研究、特にオーロラの起源についての研究を行った。また、宇宙船に衝突する可能性のある高エネルギー粒子の数を予測するモデルの作成や、太陽活動周期の予測法の発見でも知られている[4]
若年期

ファインマンはニューヨーク市クイーンズ区で1927年3月31日に生まれた。兄に、ノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンがいる[4]。両親ともアシュケナージ系ユダヤ人で、父メルヴィル・フィリップス・ファインマンはロシア帝国ミンスク(現 ベラルーシ領)出身、母ルシール・ファインマン(旧姓フィリップス)はポーランド出身だった[1][5]

幼少期から好奇心旺盛で、自然界を理解することに興味を示していた。しかし、女性には複雑な科学的概念を理解することができないと信じていた母と祖母は、ジョーンが科学への道を進むことを諦めさせようとした[4][6][7]。それにもかかわらず、兄のリチャードは彼女に宇宙への関心を持つように勧めた。ジョーンがオーロラに生涯関心を持つようになったのは、ある夜、リチャードが自宅近くのゴルフ場の上空に出現したオーロラを見るために彼女を誘い出したのが最初のきっかけだった[6][8][9]。また、リチャードからもらった天文学の本の中にあった、女性天文学者セシリア・ペイン=ガポーシュキンの研究に基づくグラフを目にしたジョーンは、女性でも科学を学ぶことはできると確信した[4]
教育

オーバリン大学に進学して物理学を専攻し、1948年に理学の学士号を取得した[10]。その後、シラキュース大学大学院に進学し、メルヴィン・ラックス(英語版)の下で固体物理学を学んだ[11]。大学院在学中、1年間休学して夫のリチャード・アーウィン・ハーシュバーグとともにグアテマラに滞在し、現地のマヤ族の文化について研究した[12]。1957年には、ファインマン、ハーシュバーグ、ベティ・メガーズ(英語版)の3人で人類学の論文を共同執筆した[13]。学士取得の10年後の1958年、物理学の博士号を取得した[2][14]。博士論文のタイトルは「ダイヤモンド型格子構造の結晶における赤外線の吸収」だった[7][15]。大学院修了後は、コロンビア大学ラモント=ドハティ地球研究所(英語版)で博士研究員として研究した[3]
キャリアカルガリー上空に出現したオーロラ

ファインマンはそのキャリアの大半において、太陽風と地球の磁気圏の相互作用の研究を行った。NASAエイムズ研究センターに勤務中の1971年、コロナ質量放出(CME)が太陽風の中のヘリウムの存在によって識別できることを発見した[4]。それまで、CMEの検出は困難だったため、これは重要な発見だった。ファインマン

NASAエイムズ研究所の後、高高度観測所(英語版)、コロラド州ボルダーアメリカ大気研究センターワシントンD.C.アメリカ国立科学財団マサチューセッツ州ボストンカレッジで研究した[11]。1985年、カリフォルニア州パサデナジェット推進研究所(JPL)に着任し[16]、定年まで在籍した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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