ジョーン・バエズ
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ジョーン・バエズ
Joan Baez
1973年
基本情報
出生名Joan Chandos Baez
生誕 (1941-01-09) 1941年1月9日(83歳)
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州スタテンアイランド
ジャンルフォーク
フォークロック
職業ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器ボーカルギターピアノウクレレジャンベ
活動期間1958年 - 現在
レーベルヴァンガード・レコード
A&Mレコード
CBS
Gold Castle Records
ヴァージン・レコード
Guardian Records
Koch
Proper Records
公式サイト ⇒www.joanbaez.com

ジョーン・バエズ(: Joan Baez、1941年1月9日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライター

フォークロックの草創期から、今なお活動し続けている女性音楽アーティストの第一人者。キャリアは60年にも及び、フォーク界に多大な足跡を残した。2017年、『ロックの殿堂』入り。

名前は「バイズ [ba?z][1][2]」と表記する方が近い。
来歴

ニューヨーク州スタテン島にてメキシコ系の家に生まれる。彼女の一家は、クエーカー教徒であった。父親のアルバートは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、それはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動へ影響を及ぼした。妹のミミ・ファリーニャ(Mimi Farina、1945年4月30日 - 2001年7月19日)もフォーク歌手であった。

歌手としての経歴は、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルから始まった。1960年10月、ファースト・アルバム『ジョーン・バエズ』をヴァンガード・レコードから発売。同作は「ドナドナ」「朝日のあたる家[3]などトラディショナルのフォーク・バラード、ブルースと哀歌が、彼女自身のギターによって演奏されたものであった。

1961年9月発売の『ジョーン・バエズ 第2集(Joan Baez, Vol. 2)』はゴールド・アルバムとなり、翌年リリースされた『イン・コンサート』も同じくゴールド・アルバムを獲得した。バエズは、1960年代初頭から中期に掛けて、アメリカにおけるルーツ・リバイバルの先頭に立ち、自らの聴衆に対し、ブレイク前のボブ・ディランを紹介し、また多くのアーティストは彼女を模倣した。

1967年1月、初来日[4]。2月1日の東京厚生年金ホールの公演の音源が1973年に『ジョーン・バエズ・ライブ・イン・ジャパン』として発売されている。

1968年12月、ディランの作品のみを歌った2枚組のアルバム『Any Day Now』を発表。シングルカットされた「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード」はバエズのコンサートの定番曲のひとつとなった。

1969年ウッドストック・フェスティバルに出演。

2010年3月、スペイン政府より芸術文学の勲章受勲し、Excelentisima Senoraの称号を得る。

2017年、『ロックの殿堂』入りを果たす[5]

2018年、10年ぶりのアルバム『Whistle Down the Wind』をリリース。この作品と、それに伴うワールドツアーが最後になると明言し、第一線からの引退を表明した[6]

2021年デヴィッド・クロスビーのアルバム、『フォー・フリー』のアルバムジャケットのアートワークを担当。
ギャラリー

1963年

ボブ・ディランと共演 (1963年)

オランダ・スキポール空港にて (1966年)

初来日公演を取り上げた記事(『平凡パンチ』1967年1月16日号)

USA・サンフランシスコ公演 (2005年)

USA・ニューヨーク公演(2016年3月)

ディスコグラフィ


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