ジョージ・ブレット
George Brett2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ウェストバージニア州グレンデール
ジョージ・ハワード・ブレット(George Howard Brett, 1953年5月15日 - )は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州グレンデール出身の元プロ野球選手(三塁手、一塁手)。右投左打。MLBのカンザスシティ・ロイヤルズで球団副社長を務めている。愛称はゴージャス・ジョージ(Gorgeous George)[1]。
選手時代はカンザスシティ・ロイヤルズ一筋で21シーズン過ごしたフランチャイズ・プレイヤーである。「真のアメリカン・ヒーロー」と呼ばれたノーラン・ライアンとともに1970年代から1990年代にかけて球界を背負うスターであり続けた[2]。
5歳上の実兄ケン・ブレットも元プロ野球選手。1981年には兄弟でロイヤルズに在籍した。 映像外部リンク
経歴
現役時代
1978年アリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦
3打席連続本塁打を放つブレット(MLB.comによる動画)
ジョージ・ブレット(1990年)
1971年のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから2巡目(全体29位)に指名を受け入団。
1973年8月2日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。
1974年は5月にメジャーに昇格し、5月8日のテキサス・レンジャーズ戦でファーガソン・ジェンキンスからメジャー初本塁打[3]。後半戦で打率.317[4]と調子を上げ、打率.282・2本塁打の成績でルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位に入った[5]。
1975年は打率.308・11本塁打・89打点、共にリーグトップの195安打・13三塁打を記録。
1976年は前半戦で打率.365[6]を記録し、オールスターゲームに初選出され先発出場を果たした[7]。いずれもリーグトップの打率.333・215安打・14三塁打の成績で首位打者のタイトルを獲得し、チームは初の地区優勝。ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦の8回に同点3点本塁打を放つ[8]など打率.444と活躍するが、チームは2勝3敗で敗退。MVPの投票ではサーマン・マンソンに次ぐ2位に入った[9]。
1977年は打率.312・22本塁打・88打点・13三塁打を記録し、チームは地区連覇。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.300を記録するが、チームは2勝3敗で敗退。
1978年は128試合の出場ながらリーグトップの45二塁打を記録し、チームは地区3連覇を果たす。3年連続の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第3戦でキャットフィッシュ・ハンターから初回先頭打者本塁打を含む3打席連続本塁打を放つ[10]がチームは逆転負けを喫し、1勝3敗でまたも敗退した。
1979年は5月28日のボルチモア・オリオールズ戦でサイクルヒットを達成し、延長16回にサヨナラ本塁打を放った[11]。打率.329・23本塁打・107打点、共にリーグトップの212安打・20三塁打の好成績で20-20-20も達成したが、チームは地区2位で4連覇を逃した。MVPの投票では3位[12]。
1980年は6月から故障で1ヶ月離脱するが、復帰後の7月は打率.494、8月は.430[13]と絶好調で、この間7月18日から30試合連続安打を記録[14]。8月26日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では5安打を記録して.407まで上昇[15]するが、9月に右腕の腱を痛めて9試合に欠場[14]。復帰後は失速し、1941年のテッド・ウィリアムズ以来の打率4割には惜しくも届かなかった。それでも打率.390・24本塁打・118打点、いずれもリーグトップの出塁率.454・長打率.664・OPS1.118の好成績で2度目の首位打者を獲得し、チームの2年ぶりの地区優勝に大きく貢献。4度目の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2本塁打・4打点と活躍、第3戦では1点ビハインドの7回にリッチ・ゴセージから特大の逆転3ランを放ち、チームは3連勝で悲願のリーグ初優勝を果たす。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは、痔の手術を終えてから5時間後の第3戦で本塁打を放つ[1]など打率.375を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに初のMVP[16]、同年から制定されたシルバースラッガー賞を受賞した。