ジョージ・ピーボディ
George Peabody
生誕 (1795-02-18) 1795年2月18日
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ピーボディ
死没1869年11月4日(1869-11-04)(74歳)
イギリス ロンドン
墓地マサチューセッツ州セイラムハーモニー・グローヴ墓地
職業投資家、銀行家、起業家
純資産死亡時$1,600万ドル(アメリカ国民総生産の 約1/556に相当)[1]
宗教ユニテリアン主義
親トーマス・ピーボディ、ジュディス・ドッジ
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ジョージ・ピーボディ(George Peabody、1795年2月18日 - 1869年11月4日)は、アメリカ合衆国出身の企業家、慈善家で、アメリカで最も古い音楽学校ピーボディ音楽院(英語版)などの教育施設・図書館等の開設者[2]。
貧しい家に生まれたが、その後は金融の中心地ロンドンでジューニアス・モルガン[注釈 1]をパートナーとして迎え銀行家として活躍、後の銀行持株会社 JPモルガン・チェースの前身となる銀行を創設する。老後は惜しみなく慈善活動を行い。「近代慈善家の父」(father of modern philanthropy)と呼ばれるほどの世界的な称賛を受けた[3][4][5][6]。 1795年、マサチューセッツ州サウス・デンバー(現ピーボディ)のピューリタンを先祖に持つ極度に貧しい家で、七人兄弟の一人として生まれた。極貧で苦労し、学校にも数年しか通っていない。彼は後に「若いころの途轍もない苦労を片時も忘れられない、忘れる事ができないんだ。」と述べている[7]。 ドライグッズの起業から始まり、いろいろ苦難があったが、最終的に銀行家として大成した。生まれた場所は、ピーボディのワシントン通り205で、現在ジョージ・ピーボディ・ハウス博物館
生涯
1816年ピーボディは、メリーランド州ボルチモアに移り20年間住んだ。1837年にはイギリスのロンドンに移り、その後の人生はそこで過ごした。
ジョージ・ピーボディは、生涯一度も結婚しなかった。1869年11月4日、ロンドンで74歳で亡くなった。ウェストミンスター大聖堂の大司教の希望とヴィクトリア女王の承認によりウェストミンスター大聖堂に仮埋葬された。しかし、本人の遺志は、故郷マサチューセッツ州サウス・デンバーに埋葬されることであったので、ウィリアム・グラッドストン首相が、イギリス海軍の最新鋭艦で最大の艦艇モナーク(HMS Monarch (1868))で、遺体をアメリカ合衆国に帰還させるように手配した。