ジョージ・イーストマン
George Eastman
ジョージ・イーストマン
生誕 (1854-07-12) 1854年7月12日
アメリカ合衆国、ニューヨーク州ウォータービル
ジョージ・イーストマン(英語: George Eastman、1854年7月12日 - 1932年3月14日)は、アメリカの実業家、発明家であった。イーストマン・コダックの創業者。ロールフィルムを発明。それによって連続撮影のスピードが著しく速くなり、写真機の主流となった。ロールフィルムは1888年にエドワード・マイブリッジやルイ・ル・プランスが映画用フィルムを発明する元となり、レオン・ボウリー(英語版)、トーマス・エジソン、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエスらによる映画の発明のための基礎技術となった。
篤志家としても有名で、ロチェスター大学のイーストマン音楽学校と医歯学部を創設し、ロチェスター工科大学(RIT)に寄付をし、マサチューセッツ工科大学(MIT)の第2キャンパスを建設し、いくつかの大学に寄付をしている。また低所得者のために、ロンドンをはじめとするヨーロッパ各地の都市に診療所建設のための基金を創設した。
晩年は病気のせいで慢性の痛みと身体の衰えに苦しんだ。1932年3月14日、「友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?(To my Friends, My work is done. Why wait?)」と書かれた遺書を残し、自死した[1]。
ジョージ・イーストマン・ハウス(英語版)はアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されており、2012年現在は国際写真映画博物館として運営されている。
前半生米国特許番号388,850。ジョージ・イーストマン。1888年9月4日。
イーストマンは、ニューヨーク州ウォータービル(英語版)にある両親が1849年に購入した10エーカーの農場で末っ子として生まれた。上には2人の姉エレン・マリアとケイティがいた[2]。ほとんど独学で学んだが、8歳になるとロチェスターの私立学校に通い始めた[3]。父は1840年代前半からニューヨーク州ロチェスターでイーストマン商業専門学校を始めていた。ロチェスターは当時急激に産業が発展しつつある都市だった[4]。しかし学校経営だけでは生活できず、父はロチェスターとウォータービルの二重生活を余儀なくされていた[5]。1860年、父が健康を害しはじめると一家は農場をあきらめてロチェスターに引っ越した[3]。1862年5月、父が脳障害で死去。生活とジョージを学校に通わせるため、母は寮生を受け入れることにした[3]。
2番目の姉ケイティは1870年、ジョージが16歳のとき、ポリオに感染して若くして亡くなった。そのためジョージは高校をやめ、働き始めた。写真事業で成功しはじめたときジョージ・イーストマンは、苦労して育ててくれた母に親孝行することを誓った[5]。