ローシー
(ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー)
本名Giovanni Vittorio Rosi[1]
Giovanni Vittorio Rossi[2]
生年月日 (1867-10-18) 1867年10月18日
没年月日 (1940-09-06) 1940年9月6日(72歳没)
出生地 教皇領、ローマ[1]または イタリア王国、ミラノ[2]
死没地 アメリカ合衆国、ニューヨーク
職業コレオグラファー、演出家
ジャンルバレエ、オペラ
テンプレートを表示
ローシー、ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー(Giovanni Vittorio Rosi[1] / Rossi[2], 1867年10月18日[1] - 1940年9月6日)は、イタリアの振付師、演出家、教育者である。浅草オペラの源流となる東京・内幸町の帝国劇場歌劇部のオペラを指導し、6年間の滞在で 日本のダンス界・オペラ界に深い影響を与えた[1][2]。
日本ではローシーとして知られる。アルファベット表記は資料により「Rosi」[1]、「Rossi」[2]の両論がある。現代のイタリア語の日本語表記の通例では、前者はロージ、後者はロッシであるが、ヘボン(Hepburn)の例に倣い従来日本で親しまれた「ローシー」で表記した。 1867年(慶応3年)10月18日、イタリアのローマ[1]あるいはミラノ[2]に生まれたとされる。 ミラノのスカラ座付属バレエ学校を卒業後、ダンサー、マイムアーテスト
人物・来歴
1902年に英国に渡り、1904年1月から1910年の間、ロンドン・ウエスト・エンドのミュージックホール『アルハンブラ劇場
』の振付師として活動した[2]。『夢幻的バレー』1912年(大正元年)、帝国劇場に招かれて来日、同劇場の歌劇部のオペラ指導者に就任[1][2]、エンゲルベルト・フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』、ジャック・オッフェンバックの『天国と地獄』[2]、『蝶々夫人』、『魔笛』の日本初演を指導・演出した[1]。