ジョヴァンニ・スパドリーニ
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イタリア政治家ジョヴァンニ・スパドリーニGiovanni Spadolini
ジョヴァンニ・スパドリーニ(1980年代)
出生地トスカーナ州フィレンツェ県
フィレンツェ
死没地ローマ
所属政党イタリア共和党
第65代首相(閣僚評議会議長)
内閣スパドリーニ内閣
在任期間1981年6月28日 - 1982年12月1日
大統領アレッサンドロ・ペルティーニ
イタリア共和国元老院議長
在任期間1987年7月2日 - 1994年4月14日
国防相
内閣ベッティーノ・クラクシ内閣
在任期間1983年8月4日 - 1987年4月17日
教育相
内閣ジュリオ・アンドレオッティ内閣
在任期間1979年3月20日 - 1979年8月4日
文化相
内閣アルド・モーロ内閣
在任期間1974年11月23日 - 1976年2月12日
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ジョヴァンニ・スパドリーニ(イタリア語: Giovanni Spadolini、1925年6月21日 - 1994年8月4日)は、イタリア政治家、元首相新聞編集者であり、ジャーナリストであり、また歴史家でもあった。
経歴

フィレンツェ生まれ。ジャーナリストとしてはペンネームとしてジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレの名前を借用して活動していた。また政界入りする前は1968年から1972年まで日刊紙コリエーレ・デラ・セラの編集者だった。

1972年中道自由主義政党であるイタリア共和党(PRI)から上院議員となり政界入りしてからは文化相(初代)、教育相などを務めた文化色の強い政治家だった[1]が、1979年から1987年までは共和党において党首書記長または幹事長と訳される)となった。そして、P2事件の発覚によりアルナルド・フォルラーニ首相が辞任したことを受けて、1981年から翌年にかけイタリアの首相を務めた(この間第7回第8回先進国首脳会議G7サミット)に参加している)。第二次世界大戦後、イタリアが共和国になって以来、キリスト教民主主義(DC)以外の世俗派から選出された首相は、スパドリーニが初めてであった。また、このときイタリア共和党は下院における第7党に過ぎず、議会の過半数から支持を得た連立政権とはいえ、議院内閣制の下であってもこうした少数政党から首相が選出されたことは世界的にみても珍しい例とされている。イタリアの政治の不安定さの象徴的な出来事でもあった[2]。首相としては対マフィア戦争などへの対応に苦慮した。

首相退任後は、1983年から1987年までベッティーノ・クラクシイタリア社会党初の首相)率いる連立政権下で国防相を務めた。国防相ポストの退任後はすぐ上院議長に転じ、タンジェントポリとそれに伴う政界再編の時期を経て1994年4月までその地位にあった(この間、1991年には終身上院議員となった[1])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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