ジョン・W・フォスター
John W. Foster
アメリカ合衆国
第32代国務長官
任期
1892年6月29日 ? 1893年2月23日
大統領ベンジャミン・ハリソン
前任者ジェイムズ・G・ブレイン
後任者ウォルター・グレシャム
在スペイン・アメリカ大使
任期
1883年6月16日 ? 1885年8月28日
大統領チェスター・アーサー
グロバー・クリーブランド
前任者ハンニバル・ハムリン
後任者ジャベツ・キュリー
在ロシア・アメリカ大使
任期
1880年6月11日 ? 1881年8月1日
大統領ラザフォード・ヘイズ
ジェームズ・ガーフィールド
前任者エドウィン・W・ストウトン
ジョン・ワトソン・フォスター(John Watson Foster、1836年3月2日 - 1917年11月15日)は、アメリカ合衆国の外交官、軍人、弁護士、ジャーナリストである。ベンジャミン・ハリソン政権下で国務長官を務めた。
若年期と初期のキャリア(英語版)の農夫の息子として生まれ、エバンズビルで育った。
両親は息子が伝道師になることを望んでいたが、本人は法律家になりたいと思っていた。開学したばかりのインディアナ大学を1855年に卒業した後、ハーバード・ロー・スクールに入学した。卒業後、オハイオ州シンシナティに移り弁護士となった。
1861年に南北戦争が勃発すると、フォスターは北軍に志願した[1]。第25インディアナ義勇歩兵隊、第65インディアナ義勇乗馬歩兵隊、第136インディアナ義勇歩兵隊に所属し、少佐から大佐まで昇進した。フォスターが率いる部隊は、アンブローズ・バーンサイド少将のノックスビル方面作戦が成功した後に、テネシー州ノックスビルに一番乗りした。
終戦後、フォスターはインディアナ州に戻り、弁護士としての仕事に加えて、『エバンズビル・デイリージャーナル』紙の編集を行った。フォスターはこの新聞を、共和党の政策を広めるために利用した。 その後フォスターはワシントンD.C.へ移り、ユリシーズ・グラント大統領のもとで働いた。
政界でのキャリア