ジョン・R・ピアース
John R. Pierce
John R. Pierce
ジョン・R・ピアース
生誕 (1910-03-27) 1910年3月27日
アメリカ合衆国 アイオワ州デモイン
死没2002年4月2日(2002-04-02)(92歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サニーベール
国籍 アメリカ合衆国
受賞スチュアート・バレンタイン・メダル (1960)
エジソンメダル (1963)
IEEE栄誉賞 (1975)
マルコーニ賞 (1979)
日本国際賞 (1985)
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ジョン・ロビンソン・ピアース(John Robinson Pierce、1910年3月27日 - 2002年4月2日)は、アメリカ合衆国の工学者、作家である。無線通信、マイクロ波技術、コンピュータ音楽、音響心理学の分野で広範な活動をした[1]。ベル研究所在籍時の1948年に「トランジスタ」の名称を提案した[2]。また、J・J・カップリングなどのペンネームで長年にわたりSFを書き続けた。 アイオワ州デモインで1910年3月27日に生まれた。カリフォルニア工科大学で電気工学を学び、1933年に学士号、1934年に修士号、1936年にPh.Dを取得した。 大学卒業後、1936年にベル研究所に入った。ピアースは、1952年に電子工学研究部長、1958年に通信科学研究部長に就任した。 ベル研究所でのピアースの最初の仕事は、真空管に関するものだった。第二次世界大戦中にピアースは、進行波管を発明したイギリスのレーダー研究所のルドルフ・コンフナーの研究を見つけた[3]。ピアースはコンフナーをベル研究所に招いた後、進行波管の数学的研究をし、それに関する本を著した[4]。ピアースは後に、「ルディ・コンフナーは進行波管を発明したが、私がそれを発見した」(Rudy Kompfner invented the traveling-wave tube, but I discovered it.)と述べたと言われているが、コンプフナーの著書によると、この言葉は、『ザ・ニューヨーカー』1963年9月21日号に掲載されたユージン・フビニ
若年期と教育
ベル研究所
ピアースは、電子工学や情報理論について研究し、同僚のバーナード・オリバーやクロード・シャノンと共にパルス符号変調(PCM)の概念を発展させた。全米発明家殿堂では、PCMの発明者としてオリバー[7]とシャノン[8]を表彰しており[9]、ピアースは含められていない。これは、1946年と1952年に出願され1956年に認められたPCMに関する特許(アメリカ合衆国特許第 2,801,281号
)がこの2名の名前で出されていたことによるものであるが、それ以前の1945年にピアースの名前でもPCMに関する特許が出願され、1948年に認められている(アメリカ合衆国特許第 2,437,707号)。この3人は、1948年に"The Philosophy of PCM(PCMの哲学)を出版している[10]。ピアースは、ジョン・バーディーンやウォルター・ブラッテンらの研究チームを監督し、そのチームが開発した固体増幅素子に対してブラッテンから命名を要請され、「トランジスタ」と名付けた。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}私は、この素子が何をするものであるかを考えて、この名前をつけました。当時、(この素子と)真空管が併用されると考えられていました。真空管にはトランスコンダクタンス(英語版)(Transconductance)があるので、トランジスタには「トランスレジスタンス」(transresistance)があるでしょう。そして、バリスタ(varistor)やサーミスタ(thermistor)などの他の素子と調和する名前であるべきでしょう。