ジョン・P・ハモンド
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ジョン・P・ハモンド
John P. Hammond
2008年、オースティンでのライブ
基本情報
別名ジョン・ハモンド・ジュニア
生誕 (1942-11-13) 1942年11月13日(81歳)
出身地ニューヨーク
ジャンルブルース
職業歌手、ギタリスト
担当楽器ギター、ハーモニカ
活動期間1962年 -

ジョン・ポール・ハモンド(John Paul Hammond、1942年11月13日 - )は、アメリカ合衆国ブルース歌手ギタリストレコード・プロデューサージョン・ハモンドの息子であり、ジョン・ハモンド・ジュニアと表記されることもある。
生い立ち

1942年11月13日、ニューヨークでレコード・プロデューサーでタレント・スカウトのジョン・ハモンドと最初の妻で女優のジェミソン・マクブライドのもとに生まれた[1]。高名なヴァンダービルト家の祖であるコーネリアス・ヴァンダービルトの子孫[2]。実の弟ジェイソンの他、父とエスマ・オブライエン・サーノフとの再婚により義理の妹(エスマ・)ロシータ・サーノフがいる。彼のミドル・ネームであるポールは彼の父の友人で俳優のポール・ロブスンに敬意を表して名付けられた。若い頃の彼は母親により育てられ、父親とは年に数回会うのみであった。

高校生の頃にギターを演奏し始め、特にジミー・リードのアルバム『Jimmy Reed at Carnegie Hall 』に影響を受けた。Antioch College に進学したが音楽の道に進むため1年で中退。1960年代中期までに全米を公演してまわり、グリニッジ・ヴィレッジに住むようになった。ニューヨークでジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトン、ザ・ホークス(後にザ・バンドで知られる)、ドクター・ジョンデュアン・オールマンなど多くのエレクトリック・ブルース・ミュージシャンと共にレコーディングを行ない、友情を育んだ。
経歴

彼は通常アコースティック・ギター、特にナショナル・ギター社製を愛用し、バレルハウス・スタイルの歌唱法を採っている。1962年、ヴァンガード・レコードからデビューしてから現在まで34枚のアルバムを発表。1990年代ポイント・ブランク・レコードでレコーディングするようになった。グラミー賞に4度ノミネートされ、1度受賞している。1970年のダスティン・ホフマン主演の映画『小さな巨人』の音楽を担当している。

批評家からの称賛を得ながらも、商業的には大きな成功はしていない。にもかかわらず、根強いファンに支えられ、ジョン・リー・フッカールーズヴェルト・サイクス、デュアン・オールマン、ロビー・ロバートソンチャーリー・マッスルホワイトなど彼の音楽に参加したミュージシャンからの尊敬を得ている。エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスの両者が同時に1つのバンドに参加した唯一のミュージシャンであり、1960年代、ニューヨークのガスライト・カフェで5日間演奏した[3]。しかし、彼らとレコーディングを行なわなかったことを彼は後悔している。少なくとも1人の起草者によりザ・バンドが広く認知されるのを助けるミュージシャンにふさわしいと提案。1965年、彼はザ・バンドの数名のメンバーとレコーディングを行ない、彼らにボブ・ディランを推薦し、ザ・バンドは有名となり世界ツアー公演を行なった[4]。1973年には、当時所属していたコロムビア・レコードの案により、ドクター・ジョン及びマイク・ブルームフィールドとのコラボレーション・アルバム『Triumvirate』を発表したが、このトリオは短命に終わった[5]

1990年代初頭、伝説的ブルース歌手のロバート・ジョンソンについての1991年のイギリスのドキュメンタリー番組『The Search for Robert Johnson 』の司会をした。

シンガーソングライタートム・ウェイツと長年にわたる友人であり、時々ウェイツの曲を演奏する。2001年、伝統的なスピリチュアル曲『I know I've Been Changed 』以外全曲ウェイツの作曲によるアルバム『Wicked Grin 』を発表。ウェイツはこのアルバムにプロデュース、ギター演奏、バック・コーラスでも参加している。

2002年、ロス・ロボスのデイヴィッド・イダルゴのプロデュースによる『Ready for Love 』を発表[1]。このアルバムにはミック・ジャガーキース・リチャーズ作曲の『The Spider and the Fly 』のカバー曲も含まれている。

2009年、アルバム『Rough and Tough 』が発表された。このアルバムは2010年のグラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞にノミネートされた[6]

2011年、ブルース・ファウンデーションによるブルースの殿堂に殿堂入りした[7]
プライベート

1967年10月21日、ジョン・バーク・マクデヴィットの娘デイナ・マクデヴィットと結婚した[8]が、後に離婚。

1981年、マリアと再婚[9]
主なアルバム

1964年 - Big City Blues (
ヴァンガード)

1964年 - Country Blues (ヴァンガード)

1964年 - John Hammond (ヴァンガード)

1965年 - So Many Roads (ヴァンガード)

1967年 - I Can Tell (アトランティック)

1967年 - Mirrors (ヴァンガード)

1968年 - Sooner Or Later (ウォーター・ミュージック)

1969年 - Southern Fried (ウォーター・ミュージック)

1970年 - Source Point (コロムビア)

1971年 - Little Big Man (コロムビア)

1971年 - When I Need (コロムビア)

1972年 - I'm Satisfied (コロムビア)

1973年 - Triumvirate (コロムビア/ with マイク・ブルームフィールドドクター・ジョン)

1975年 - Can't Beat The Kid (Acadia)

1976年 - John Hammond Solo (ヴァンガード)

1978年 - Footwork (ヴァンガード)

1979年 - Hot Tracks (ヴァンガード)

1980年 - Mileage (ラウンダー)

1982年 - Frogs For Snakes (ラウンダー)

1983年 - Hits For The Highway (Aim)

1983年 - Live (ラウンダー)

1984年 - Spoonful (Edsel)

1988年 - Nobody But You (フライング・フィッシュ)

1992年 - Got Love If You Want It (カリスマ)

1993年 - You Can't Judge A Book By The Cover (ヴァンガード)

1994年 - Trouble No More (ポイント・ブランク)

1996年 - Found True Love (ヴァージン)

1998年 - Long As I Have You (ポイント・ブランク/ヴァージン)

2001年 - Wicked Grin (ポイント・ブランク/ヴァージン)

2003年 - At The Crossroads (ヴァンガード)

2003年 - Ready For Love (バック・ポーチ)

2005年 - In Your Arms Again (バック・ポーチ)

2006年 - Live In Greece (ダイナミック)

2007年 - Push Comes To Shove (バック・ポーチ)

2009年 - Rough & Tough (チェスキー)

脚注[脚注の使い方]^ a b“John Hammond Jr. Artist Biography”. All Music Guide. Barnesandnoble.com. ⇒http://music.barnesandnoble.com/search/artistbio.asp?CTR=64957 


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