ジョン・ロメロ
John Romero
ロメロ(2012年)
生誕Alfonso John Romero
(1967-10-28) 1967年10月28日(53歳)
アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス
住居アイルランド・ゴールウェイ
職業ゲームデザイナー、ゲームプログラマー
アルフォンソ・ジョン・ロメロ(Alfonso John Romero、1967年10月28日 - )は、アメリカのコンピュータゲーム業界のディレクター、デザイナー、プログラマー、クリエイターである。彼はid Softwareの共同設立者で、『Wolfenstein 3D』『Dangerous Dave』『Hexen』『Doom』『Doom II』『Quake』などの同社のゲームの多くをデザインしたことで最もよく知られている。彼のゲームデザインと開発ツールはid Softwareのリードプログラマーのジョン・D・カーマックが開発、実装した新たなプログラミング技術と相まって、1990年代にファーストパーソン・シューティング(FPS)の大衆化をもたらした。彼はFPSのマルチプレイ用語「デスマッチ」を生み出したと言われている[1]。目次 ロメロはアメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングスで生まれた。彼はメキシコ人、ヤキ族、チェロキー族の血を引いている[2]。彼の母親のジニーがアルフォンソ・アントニオ・ロメロと出会ったのは彼らが10代の頃、アリゾナ州ツーソンでのことだった。メキシコ系アメリカ人一世であるアルフォンソは空軍基地の整備士であり、エアコンや暖房システムの修理に明け暮れる日々を送っていた。アルフォンソとジニーは結婚後、彼らの異人種間の関係がより寛容な環境で繁栄することを願って、300ドルを持って1948年型のクライスラーでコロラド州に向かった[1]。 彼が初期に影響を受けた中で、「エイリアンを撃つ」ゲームのアーケードゲーム『スペースインベーダー』(1978)で彼はコンピュータゲームの世界へと入った[3]。ナムコのアーケードゲーム『パックマン』(1980)は彼のキャリアに最も大きな影響を与え、「ゲームデザインについて考えるようになった」最初のゲームであった[4]。ナーシャ・ジベリ(Sirius Software、スクウェア)は彼のお気に入りのプログラマーであり、シューティングゲーム『Horizon V』(1981)や『Zenith』(1982)などのApple IIゲームの彼の高速3Dプログラミング作業に大きなインスピレーションを受け、その後のid Softwareでのロメロの仕事に影響を与えた[5]。
1 経歴
1.1 初期のキャリア
1.2 1990年代:id SoftwareとIon Storm
1.3 2000年代
1.4 2010年から現在まで
2 私生活
3 認知
4 ゲーム
5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク
経歴