ジョン・ロミータ・Jr
[Wikipedia|▼Menu]

ジョン・ロミータ・Jr
John Romita Jr.
2013年のサンディエゴコミコンにて
本名ジョン・サルヴァトーレ・ロミータ・Jr
John Salvatore Romita, Jr.
生誕 (1956-08-17) 1956年8月17日(67歳)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国
職業漫画家
代表作『アメイジング・スパイダーマン
アイアンマン
キック・アス
アンキャニィX-MEN
受賞インクポット賞 (1994)
アイズナー賞 (2002)
テンプレートを表示

ジョン・サルヴァトーレ・ロミータ・Jr(John Salvatore Romita, Jr.[1], 1956年8月17日[2] - )は、アメリカ合衆国コミックのアーティストである。1970年代から2010年代現在までマーベルコミックスで多くの作品を手がけており、JRJRの略称で知られている。
生い立ち

1960年代よりスパイダーマンのアーティストの1人を務めているコミック作家のジョン・ロミータ・Srの息子に生まれる[3][4]
キャリア

ジョン・ロミータ・Jrが初めてマーベルコミックスに貢献したのは13歳の時に『アメイジング・スパイダーマン』第78号(1969年11月)でプラウラー(英語版)が創造された際であった[5]。ロミータ・JrはマーベルUK(英語版)でキャリアを始め、『アメイジング・スパイダーマン・アニュアル』第11号(1977年)の「Chaos at the Coffee Bean!」と題された6ページのストーリーでアメリカデビューを果たした[1][6]

ロミータの初期の人気は1978年にライターのデイヴィッド・ミッチェリーニ(英語版)とアーティストのボブ・レイトン(英語版)と共に『アイアンマン』のランナーとなった際に始まった。このクリエイティブチームはスタークのボディガード兼ガールフレンドであるベサニー・ケイブ(英語版)[7]やライバルの実業家であるジャスティン・ハマー[8]といった脇役を生み出した。1980年代初頭には『アメイジング・スパイダーマン』誌に参加し、また新たに創刊された『ダズラー(英語版)』誌のアーティストも務めた。ロミータとライターのデニス・オニール(英語版)は『アメイジング・スパイダーマン』第210号(1980年11月)でマダム・ウェブ[9]、第212号(1981年1月)でハイドロマン(英語版)[10]を初登場させた。1982年にロミータはマーベルコミックで初めてのリミテッド・シリーズ(英語版)である『マーベルスーパーヒーロー・コンテスト・オブ・チャンピオンズ(英語版)』[11]の作画を務めた。『アメイジング・スパイダーマン』誌でライターのロジャー・スターン(英語版)と働いていた頃にはホブゴブリンを共同で創造した[12]。1983年から1986年までは『アンキャニィX-MEN』にダン・グリーン(英語版)とライターのクリス・クレアモント(英語版)と共に参加し、フォージ(英語版)を共同で生み出した[13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef