ジョン・ルース
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ジョン・ルース
(John Victor Roos)
ジョン・ルース
生誕 (1955-02-14) 1955年2月14日(69歳)
カリフォルニア州
サンフランシスコ
出身校スタンフォード大学
法科大学院修了
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ジョン・ヴィクター・ルース(John Victor Roos 、1955年2月14日 - )は、アメリカ合衆国弁護士学位法務博士スタンフォード大学1980年)。

駐日アメリカ合衆国大使(第28代)、ウィルソン・ソンシニ・グッドリッチ・アンド・ロサティ法律事務所最高経営責任者などを歴任した。
経歴
生い立ち

ジョン・ルースは、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンフランシスコに育ち、1973年にローウェル高校(en:Lowell High School)、1977年スタンフォード大学を卒業し[1]1980年に同ロー・スクールを修了して法務博士号(JD、en:Juris Doctor)を取得した[2]。学部時代にはファイ・ベータ・カッパ・ソサエティー(en:Phi Beta Kappa Society、優等学生会)の会員であり、ロー・スクール時代にはロー・レビューの編集委員となり、オーダー・オブ・ザ・コイフ(en:Order of the Coif、全米優等法学生会)の会員であった[2]
法曹界

カリフォルニア州の弁護士資格を取得して弁護士となり[2]ロサンゼルスの法律事務所に入った[3]。その後、シリコンバレー北端のパロアルトにあるWilson Sonsini Goodrich & Rosati法律事務所(en:Wilson Sonsini Goodrich & Rosati)に入り、1988年には同所のパートナー、2005年2月には同所の最高経営責任者 (CEO) および理事となった[2]

専門分野は、成長企業の金融および証券に関する業務で、多くの企業の顧問となっている[2]。また、会社合併、株式公開、企業提携などの業務にも携わり、多くのベンチャー・キャピタルの立ち上げに加わった[2]

アメリカ合衆国の著名弁護士を紹介する『ベスト・ロイヤーズ・イン・アメリカ』(Best Lawyers in America )では、2007年、2008年、2009年の各年度版に掲載された[2]
公的活動・政治活動

1991年から1999年まで、カリフォルニア州教育委員会の委員を務めた[1]。東京着任まで、スタンフォード大学教育学部長諮問委員会と法科大学院学部長諮問委員会のメンバーを務めた。スタンフォード大学での長年にわたるボランティア活動により、スタンフォード・アソシエートのメンバーにも選ばれた。

2008年のアメリカ合衆国大統領選挙では、バラク・オバマ陣営の資金調達を担い、およそ50万ドル(約5000万円)以上の資金を集めて新大統領の誕生に一役買った[4][5][6]

2009年1月にバラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に就任した後も、同大統領の側近として活動している[7]
在日本大使
着任まで2009年9月3日民主党代表鳩山由紀夫(左)と2009年9月8日横浜市長林文子(右)と

2009年5月27日に、オバマ大統領はルースを駐日アメリカ合衆国大使に指名する意向であると正式に発表した[8]

一時期、駐日アメリカ大使候補として名が挙がったハーバード大学教授のジョセフ・ナイが、いわゆる知日派の大物とされるのに対して[9]、ルースは日本との関係が薄いため知日派とは見なされておらず、また外交の経験もないため、日本国内からはオバマ政権による日本軽視の現われではないかという声の一方、経験よりも個人的な信頼関係を重視したものであり[10]、選挙運動を通じて大統領と極めて近い関係にある人物が選ばれたことは、日本にとって大きな意味があるという見方もあった[11]

同年7月23日にルースはアメリカ合衆国上院外務委員会の公聴会に臨み、承認を受けるにあたっての所信を述べた。同年8月6日、同上院はルースを駐日アメリカ大使とする人事案件を承認し、ルースはオバマ大統領と会談した。会談後、オバマ大統領は「優れた判断力と卓越した知性を備えている人物、私と非常に親しい友人であるとともに、私に助言してくれる人物、そして最先端技術に関して民間部門で働いた経験があるだけでなく、公共サービスにも深い関心がある人物」としてルースを紹介した[12]。同16日、ルースは就任宣誓を行った[1]
着任当初

2009年8月19日に日本に到着し、成田空港で行われた記者会見において「私はカリフォルニア州のシリコンバレー出身です。そこには不可能という文字はなく、未来は現在にあります。日本にも同じような冒険の精神が息づいています。日米が共に協力すれば、達成不可能なことは何もありません。」と到着声明を述べた[13]。翌20日には皇居で信任状を奉呈し、着任の挨拶のため外務省を訪れ、藪中三十二外務事務次官と会談した。ルースは来日前にオバマ大統領と会ったことを紹介し、「大統領は、日米両国は深い関係でわたしの役割は重要だと強調した。大使になれて光栄だ」と述べ、日米関係の一層の緊密化に努める考えを表明した。藪中次官は「日米同盟は日本国民の大多数が支持しており、同盟を強化していきたい」と応じた[14]

なお、鳩山由紀夫とはスタンフォード大学の同窓生にあたり、鳩山が首相に就任する直前の2009年9月3日に行われた会談では鳩山が同大学のアメリカンフットボールチームのヘルメットを自宅から持参し応対した[15]
在任中の事績2010年6月22日菅直人首相(右)と米国大使館宿舎で行われたフレンドシップデーで挨拶をするルース(2010年)

着任直後の2009年(平成21年)8月に行われた衆議院議員総選挙の結果、翌9月には自由民主党を中心とする政権から民主党を中心とする政権へ、戦後日本で初めてとなる本格的な政権交代が生じた。また、在任中の2012年(平成24年)12月に行われた衆議院議員総選挙の結果、民主党を中心とする政権から自由民主党を中心とする政権へ、再び政権交代が生じた。ルースが駐日米国大使に在任した4年間に、内閣総理大臣は5人[16]、外務大臣は実に7人を数えることとなった。


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