ジョン・リー・フッカー
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ジョン・リー・フッカー
John Lee Hooker
ロング・ビーチ・ブルース・フェスティバルでのジョン・リー・フッカー(1997年)
基本情報
生誕 (1917-08-22) 1917年8月22日
出身地 アメリカ合衆国 ミシシッピ州クラークスデイル
死没 (2001-06-21) 2001年6月21日(83歳没)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロスアルトス
ジャンルブルース
職業ギタリスト歌手
担当楽器ギター
活動期間1948年 - 2001年
レーベルモダン、ヴィージェイ、チェススタックスABCポイントブランク
共同作業者ヴァン・モリソン
公式サイト ⇒www.johnleehooker.com

ジョン・リー・フッカー (John Lee Hooker、1917年8月22日 - 2001年6月21日)は、米国ブルースシンガーギタリスト。50年以上に渡るキャリアの中で、独特のリズム感覚を持ったブギ・スタイルを確立し、「キング・オブ・ブギ」の名でも親しまれた。1984年には来日公演も行っている。代表曲は「Boom Boom」「Boogie Chillen」など。

2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第35位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第81位[1]
来歴

ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。生まれた年については、1915年、1920年など諸説あるものの、1917年説が最も一般的である。1943年、デトロイトに移住。1948年にレコード・ディーラのバーニー・ベスマンの誘いを受け、初レコーディングを経験する。翌年1月、モダンより発表となった「Boogie Chillen」がR&Bチャートを昇りつめる大ヒットとなった。このヒットにより、他のレーベルからも誘いを受けるものの、モダンとの契約で縛られていたフッカーは、様々な変名を使い、複数のレーベルに作品をレコーディングしていった。

1955年、モダンとの契約が終了しヴィージェイ・レーベルと契約する。同レーベルには1965年まで在籍し、計8枚のアルバムを発表した。それまでの弾き語りスタイルから、R&B色の濃いバンドスタイルへと発展し、「Dimples」や「Boom Boom」といった代表曲を生み出す。1962年には、初のヨーロッパ・ツアーを行う。現地ではブルース・ブームが起こっていた頃で、彼は熱烈な歓迎を受けたという。

1965年、ABCレコードへ移籍する。同レーベル並びに傘下のブルースウェイ、インパルス!レコードなどからも作品をリリースしていった。

1970年代に入ると、デトロイトを離れ、カリフォルニア州に移住する。この頃から、ロック・ミュージシャンとの共演を活発化させている。キャンド・ヒートと共演した『フッカー&ヒート』 (1970年) を始め、『エンドレス・ブギー』 (1971年) では スティーヴ・ミラー、ジェシ・エド・デイヴィスらと共演、翌1972年にはヴァン・モリソンとの共演盤『ネバー・ゲット・アウト・オブ・ジーズ・ブルース・アライヴ』を発表している。

1970年代半ば頃までABCに在籍するが、その後は暫く新作からは遠ざかっている。1980年の映画『ブルース・ブラザース』に出演し、シカゴのマックスウェル・ストリートのストリート・ミュージシャンを演じた。1984年7月には、ブラック・ミュージック・リヴュー招聘で、ロバート・クレイとともに来日を果たし、全国6都市で公演を行う。晩年ツアーを嫌ったフッカーにとって、結局これが唯一の来日公演となった。

新作から遠ざかっていたフッカーだったが、1989年、カルロス・サンタナボニー・レイットロス・ロボスら豪華ゲストを迎えたアルバム『The Healer』で華々しくカムバックを果たす。このアルバムに収録された「I'm In The Mood」は、グラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・レコーディング賞を獲得し[2]、再び存在感をみせつけることになった。

1991年、ロックの殿堂入りを果たす[3]。同年リリースされたアルバム『ミスター・ラッキー』にもライ・クーダージョニー・ウィンターキース・リチャーズらが参加。旧知のヴァン・モリソンとの共演も実現しており、モリソンのアルバム『トゥー・ロング・イン・イグザイル』(1993年) にはフッカーが2曲にゲスト参加して[4]、モリソンはフッカー名義のアルバム『チル・アウト』 (1995年)、『ドント・ルック・バック』 (1997年) にも参加している。

カムバック後は、幅広いアーティスト達との共演を重ねた。デニス・ホッパー監督の映画『ホット・スポット』のサウンドトラックでのマイルス・デイヴィスとの共演、ピート・タウンゼントの『アイアン・マン』 (1989年)、ビッグ・ヘッド・トッド&ザ・モンスターズの『Beautiful World』 (1997年)などへの参加がある。トミー・カストロの2001年のアルバム『Guilty Of Love』への参加は、フッカーの最も晩年のゲスト参加のひとつである。

2001年6月21日、フッカーはカリフォルニア州サンフランシスコ近郊ロス・アルトスの自宅で、就寝中に老衰のため死去した。

自己名義の作品としては、前述の『ドント・ルック・バック』がラストとなったが、その翌年1998年リリースのベスト盤『ベスト・オブ・フレンズ』にも新録が3曲収録されている。また、没後の2003年発表の『フェイス・トゥ・フェイス』は、未発表音源にゲスト・ミュージシャンのオーバーダブを施した作品であり、事実上のラスト・アルバムとも言える内容である。
ディスコグラフィ詳細は「:en:John Lee Hooker discography」を参照
アルバム

『アイム・ジョン・リー・フッカー』 - I'm John Lee Hooker (1959年、Vee Jay)

『ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー』 - The Country Blues Of John Lee Hooker (1959年、Riverside)

Travelin' (1960年、Vee Jay)

That's My Story (1960年、Riverside)

『ハウス・オブ・ザ・ブルース』 - House Of The Blues (1960年、Chess)

『シングス』 - John Lee Hooker Sings The Blues (1961年)

『プレイズ・アンド・シングス・ザ・ブルース』 - Plays And Sings The Blues (1961年、Chess)

『ザ・フォークロア・オブ』 - The Folk Lore of John Lee Hooker (1961年、Vee Jay)

『バーニン』 - Burnin' (1962年、Vee Jay)

『ドント・ターン・ミー・フロム・ユア・ドア』 - Don't Turn Me from Your Door: John Lee Hooker Sings His Blues (1963年、Atco)

The Great John Lee Hooker (1963年)

『オン・キャンパス』 - On Campus (1963年)

『ザ・ビッグ・ソウル・オブ』 - The Big Soul of John Lee Hooker (1964年、Vee Jay)

Burning Hell (1964年、Riverside) ※1959年録音

... And Seven Nights (1965年)

It Serves You Right to Suffer (1966年、Impulse!)

The Real Folk Blues (1966年、Chess)

Live at Cafe Au Go-Go (1967年、Bluesway)

Urban Blues (1967年、Bluesway)

John Lee Hooker (1968年)

Simply The Truth (1969年)

『ブルースの真実』 - That's Where It's At! (1969年)

Get Back Home In The U.S.A. (1969年、Black and Blue)

If You Miss 'Im...I Got 'Im (1970年)

John Lee Hooker on the Waterfront (1970年)

Moanin' and Stompin' Blues (1970年) ※コンピレーション

I Wanna Dance All Night (1970年)

I feel Good (1970年)

『エンドレス・ブギー』 - Endless Boogie (1971年)

『ゴーイン・ダウン・ハイウェイ51』 - Goin' Down Highway 51 (1971年) ※コンピレーション

『フッカー&ヒート』 - Hooker 'n Heat (1971年) ※
キャンド・ヒートと連名

『ジョン・リー・フッカーの世界』 - Any Where - Any Time - Any Place (1971年)


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