ジョン・メージャー
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イギリス政治家ジョン・メージャーJohn Major
1996年5月24日のメージャー首相
生年月日 (1943-03-29) 1943年3月29日(76歳)
出生地 イギリスイングランドサリー州・カーショールトン(英語版)・聖ヘラー病院(英語版)
出身校ラトリッシュ・スクール(英語版)
所属政党保守党
称号ガーター勲章勲爵士(KG)、コンパニオン・オブ・オナー勲章(英語版)コンパニオン(CH)、枢密顧問官(PC)、旭日大綬章
配偶者ノーマ(英語版)[1]
公式サイト ⇒The Rt Hon Sir John Major KG CH
首相
在任期間1990年11月28日 - 1997年5月2日[2]
女王エリザベス2世
外務・英連邦大臣
内閣サッチャー内閣
在任期間1989年7月24日 - 1989年10月26日[2]
財務大臣
内閣サッチャー内閣
在任期間1989年10月26日 - 1990年11月[3]
庶民院議員
選挙区ハンティンドンシャー選挙区(英語版)
ハンティンドン選挙区(英語版)
在任期間1979年5月3日 - 1983年6月9日
1983年6月9日 - 2001年6月7日[4]
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サー・ジョン・メージャー(: Sir John Major, KG, CH、1943年3月29日 - )は、イギリス政治家

保守党に所属し、マーガレット・サッチャー内閣で財務大臣外務・英連邦大臣を務めた後、1990年のサッチャーの辞任で代わって首相(在職1990年11月28日 - 1997年5月2日)に就任した。1992年総選挙に辛勝して長期政権の基盤を築き、6年半に渡って首相を務めた。アメリカとの協調を維持しつつ、ヨーロッパとの関係改善に努め、マーストリヒト条約の締結と欧州連合(EU)発足に大きな功績を果たした。しかし中間色の政策が多かったため、「理念なき政治家」との批判が高まり、また相次ぐ政治家のスキャンダルなどで徐々に人気が下降し、1997年総選挙トニー・ブレア率いる労働党に大敗を喫して退陣に追い込まれた。
目次

1 経歴

1.1 生い立ち

1.2 ビジネス経歴

1.3 政界に進出

1.4 サッチャー内閣の閣僚として

1.5 首相として

1.5.1 外交

1.5.1.1 対ヨーロッパ外交

1.5.1.2 対アメリカ外交


1.5.2 内政

1.5.3 退陣


1.6 その後


2 逸話

3 栄典

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 参考文献

6 外部リンク

経歴
生い立ち

1943年3月29日イングランドサリー州・カーショールトン(英語版)・聖ヘラー病院(英語版)で生まれた[5]。父は俳優・庭園装飾物職人アブラハム・トマス・ベル(英語版)、母はその妻グウェンドリン・ミニー(旧姓コーツ)[6][1]

ランベス・ロンドン特別区ブリクストンで育つ。グラマー・スクールのラトリッシュ・スクール(英語版)に入学したが[1]、16歳で学校を退学し、大学には進学していない[5]
ビジネス経歴

電力会社、保険会社での勤務を経て、1965年にスタンダード・チャータード銀行に入ると外国為替部門で頭角を現し、営業部長や会長秘書などに昇進した。
政界に進出

彼は若い頃から保守党青年活動に参加しており、21歳の時にはランベス・ロンドン特別区議会(英語版)選挙で当選を果たした。同地方議会において彼は住宅供給委員会の議長を務めた[5]

二度の落選を経て、1979年にハンティンドンシャー選挙区(英語版)から保守党候補として立候補し、庶民院議員に初当選した[1][5]1983年に同選挙が廃止されると新設されたハンティンドン選挙区(英語版)から選出されるようになった[1]
サッチャー内閣の閣僚として


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