ジョン・メイヤー
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ジョン・メイヤー
John Mayer

基本情報
出生名John Clayton Mayer
生誕 (1977-10-16) 1977年10月16日(46歳)
アメリカ合衆国 コネチカット州ブリッジポート
出身地 アメリカ合衆国 コネチカット州フェアフィールド
学歴バークリー音楽大学(専門課程)中退
ジャンルロック
ポップス
ブルース
職業シンガーソングライター
ギタリスト
コラムニスト
担当楽器ギター
ボーカル
キーボード
活動期間1998年 -
レーベルアウェアー・レコード
コロムビア・レコード
Sony BMG
共同作業者ローファイ・マスターズ
ジョン・メイヤー・トリオ
デッド&カンパニー
公式サイト ⇒www.johnmayer.com
著名使用楽器

PRS Silver Skyフェンダー・ストラトキャスター
マーティン OM-28JM
スティーヴィー・レイ・ヴォーン

ジョン・メイヤー(John Mayer、1977年10月16日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライターギタリストバークリー音楽大学中退。

ギタリストとしての評価は非常に高く、すでにエリック・クラプトンバディ・ガイB.B.キングなどの大御所ブルース・ギタリストとの共演を果たしている。米Rolling Stone誌の2007年2月号ではジョン・フルシアンテデレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト(The New Guitar Gods)」に選定された[1]
来歴

1977年10月16日、
アメリカ合衆国コネチカット州ブリッジポートで、教職に就く両親のもとに生まれる。父親はユダヤ系[2]

13歳でギターを始め、高校在学中に地元のバーなどで演奏するようになる。

19歳でバークリー音楽大学に入学し、ギタリスト・講師であるトモ藤田に師事、数か月後に中退。アトランタを拠点に音楽活動を開始し、その後自主制作盤『インサイド・ウォンツ・アウト』を制作したのを機に関係者から注目を集める。

2001年コロムビア・レコードからアルバム『ルーム・フォー・スクエア』を発表し、メジャー・デビュー。

2003年マーティン社より、シグネイチャー・モデルの「OM-28JM」を発表。(限定本数404本全てが即完売だったため、その後「OMJM John Mayer」としてカタログ製品化される)

2004年、「Daughters」でグラミー賞の主要4部門の1つ、最優秀楽曲賞(Song of the Year)及び最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞[1]

2004年1月6日Macworld 2004に出演。音楽編集ソフトgarageBand発表時に演奏した[3]

2005年4月フェンダー社より、シグネイチャー・モデルのストラトキャスターを発表。同年、ジョン・メイヤー・トリオを結成、活動を開始。

2007年ライブ・アースに出演。また、K&M Analog Designs社より『Two-Rock Custom Reverb John Mayer Signature』を発表(25台限定)。

2007年1月10日Macworld 2007に出演。初代iPhone発表時に「Gravity」と「World to Change」の2曲を演奏した[4]

2009年7月マイケル・ジャクソンの追悼式において「ヒューマン・ネイチャー」を演奏した。

2011年と2012年に喉の肉芽腫で2度の手術を受け、ツアーをキャンセルするなどして休養した。

2015年以降は、グレイトフル・デッドのボブ・ウェアが結成したデッド&カンパニーに合流、リードギターとボーカルを担当し、グレイトフル・デッドの曲を中心にツアーでまわっている。

略歴
音楽との出会い

ジョン・メイヤーは、1977年10月16日、コネチカット州ブリッジポートに生まれ、コネチカット州フェアフィールドで育つ[5]

8歳のときに、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、チャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」をマイケル・J・フォックスが演奏しているのを見て、ギターに興味を持つようになる。[6][7]。 そして、13歳のときに父親からギターを貸してもらう。また、近所の人からスティーヴィー・レイ・ヴォーンのアルバムが入ったカセットをもらい、ブルースに夢中になる[5]。大好きなスティーヴィー・レイ・ヴォーンに加え、ジミ・ヘンドリックススティングも聴くようになる[7]

2年間の練習を経て、16歳になったメイヤーは、地元である東海岸のバーなどで演奏するようになる[5][7]。ソロでの活動に加え、ビラノバ・ジャンクション(ジミ・ヘンドリックスの曲名として知られる)というバンドのメンバーでもあった[8]

17歳になったとき、彼は体調を崩し、数日間入院した。その出来事がきっかけで、作詞作曲に目覚め、病院から帰宅した夜に初めての歌詞を書いた[5]

高校を卒業後、彼はガソリンスタンドの店員として15か月間働く。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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