ジョン・マッギオーク
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ジョン・マッギオーク
John McGeoch
出生名John Alexander McGeoch
生誕
1955年8月25日
出身地 スコットランドインヴァークライドグリーノック
死没 (2004-03-04) 2004年3月4日(48歳没)
イングランドコーンウォール
ジャンルポストパンク
ニュー・ウェイヴ
ゴシック・ロック
オルタナティヴ・ロック
職業ミュージシャン画家
担当楽器ギターサックスオルガンピアノボーカル
活動期間1970年 - 1995年
レーベルポリドールゲフィン
共同作業者マガジンヴィサージスージー・アンド・ザ・バンシーズ、ジ・アーモリー・ショウ、パブリック・イメージ・リミテッド
公式サイトwww.johnmcgeoch.com
著名使用楽器
YAMAHA SG-1000

ジョン・アレクサンダー・マッギオーク(John Alexander McGeoch、1955年8月25日 - 2004年3月4日)は、イギリスミュージシャン。元スージー・アンド・ザ・バンシーズギタリストとして最もよく知られ[1]、他にもマガジンヴィサージパブリック・イメージ・リミテッドのメンバーとしてプレイした。

モジョの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において1996年は第89位[1]
来歴
生い立ち

スコットランドの地方都市グリーノックにて生まれ育つ。12歳でギターに触れ、ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンといったブルース・ロックをコピーしてギターの腕を上げていった[2]1971年に家族とともにロンドンに引越し、1975年マンチェスター・メトロポリタン大学に入学し美術を学ぶ。
マガジン、ヴィサージでの活動

1977年4月、当時のアパートの同居人にバズコックス脱退後にバンドメンバーを探していたハワード・ディヴォートを紹介され、マガジンの結成に至る。1978年1月にシングル「Shot by Both Sides」でデビューを果たした。同年にマンチェスター・メトロポリタン大学を卒業。

マガジンのメンバーとして活動する一方で、1979年にバンドメイトのバリー・アダムソンデイヴ・フォーミュラと共にシンセポップグループ、ヴィサージに参加した。1980年リリースのデビューアルバム『ヴィサージ』でギターサックスを演奏した。他にもジェネレーションXの作品に参加しギターを演奏した。マガジンで3枚のアルバムに参加した後、スージー・アンド・ザ・バンシーズに加入するためバンドを脱退。
スージー・アンド・ザ・バンシーズでの活動

1980年のスージー・アンド・ザ・バンシーズ加入後、までの間に3枚のアルバムに参加した。 1982年11月、ツアーでのストレスやプレッシャーによる神経衰弱によりマドリードのステージ上で倒れ、バンドを脱退する。
ジ・アーモリー・ショウ、PiLでの活動

1985年、元スキッズのリチャード・ジョブソン(ボーカル)、ラッセル・ウェッブ(ベース)、元マガジンのジョン・ドイル(ドラムス)らとジ・アーモリー・ショウを結成するが、1stアルバムを『Waiting for the Floods』リリース後に脱退し、1986年パブリック・イメージ・リミテッド(PiL)に加入、1992年のバンド解散まで在籍し3枚のアルバムに参加した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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