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ジョン・ポール・ジョーンズ
John Paul Jones
肖像(ジョージ・バグビイ・マシューズ作)
生誕1747年7月6日
スコットランド カークカッドブライトシャー
死没 (1792-07-18) 1792年7月18日(45歳没)
フランス パリ
所属組織 大陸海軍
ロシア帝国海軍
軍歴1775年 - 1788年
最終階級海軍大佐(大陸海軍)
海軍少将(ロシア帝国海軍)
戦闘アメリカ独立戦争
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ジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones、1747年7月6日 - 1792年7月18日)は、アメリカ独立戦争における大陸海軍の軍人。卓越した指揮能力と活躍によって、アメリカ独立戦争における英雄とされる。 ジョン・ポール・ジョーンズは1747年にスコットランド南部のカークカッドブライトシャーでジョン・ポールとして生まれる。彼の父親はアービグラッドで庭師を営んでいた。母親はマックダフ氏族
経歴
ジョン・ポールはトバゴ島で反乱に関わった水兵を殺したことで法的問題に巻き込まれるのを避けるために、1773年に、バージニア州フレデリックスバーグの兄弟の家に逃れたときから、ジョン・ジョーンズの別名を名乗るようになった。ジョン・ポール・ジョーンズの名を使い始めたのはアメリカ独立戦争が始まった頃に兄弟に勧められたからであった。 ジョン・ポール・ジョーンズはアメリカ海軍における最初の英雄であり、高い能力を持った指揮官であると考えられている。ロシア帝国における戦いぶりはその才能を示している。エカチェリーナ2世から対オスマン帝国戦争のための艦隊指揮を任されたジョーンズは、女帝から賜った「パーヴェル・ジョーネス海軍少将」という名前でサンクトペテルブルクから黒海へ派遣された。ジョーンズは、スィーヂル・ビールィイ
独立戦争後
ジョーンズは優れた海軍指揮官ではあったものの、政治家としての能力には優れなかった。彼はその晩年をロシア、フランスで過ごし、1792年にパリにて45歳で死去、同地に埋葬された。その後墓地がフランス革命政府に売却されたために遺体の所在は不明となっていたが、アメリカ側の調査の結果1905年に鉛製の棺の中からアルコールで防腐処理された姿で発見された。翌1906年にセオドア・ルーズベルト大統領らが立ち会って盛大な葬儀が執り行われ、大陸海軍の後身であるアメリカ海軍の英雄としてアナポリスにあるアメリカ海軍兵学校の墓地、その後礼拝堂に再埋葬された。
脚注[脚注の使い方]
参考文献
田中航「ジョン・ポール・ジョーンズの対英通商破壊戦」『世界の艦船』349号、1985年
堀元美『帆船時代のアメリカ 上』朝日ソノラマ〈文庫〉、1996年
関連項目
アメリカ独立戦争
大陸海軍
ジョン・ポール・ジョーンズ (小惑星):小惑星番号9258番の小惑星。彼にちなみ命名された。
ジョン・ポール・ジョーンズ (駆逐艦)(英語版):フォレスト・シャーマン級駆逐艦の2番艦。