ジョン・ホームズ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。

ジョン・ホームズ
John Holmes
別名義John Duval、
John Estes、
Big John Fallus、
Big John Holmes、
John 'Johnny Wadd' Holmes、
John C. Holmes、
John Curtis Holmes、
Johnny Holmes、
Bigg John、
Big John、
John Rey、
Johnny Wadd、
John Sacre、
Long John Wadd
生年月日 (1944-08-08) 1944年8月8日
没年月日 (1988-03-13) 1988年3月13日(43歳没)
出生地 アメリカ合衆国オハイオ州ピッカウェイ郡アッシュヴィル
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
民族コーカソイド
職業ポルノ男優
ジャンルハードコアポルノ
活動期間1969年 - 1988年
配偶者シャロン(1965年4月 - 1983年1月)、ローリー(1987年1月24日 - 1988年3月13日)
主な作品
ジョニー・ワッドシリーズ

 受賞
AVN殿堂XRCO殿堂

テンプレートを表示

ジョン・カーティス・ホームズ (1944年8月8日 ? 1988年3月13日) はジョン・C・ホームズ、あるいは主演したシリーズ物の映画の役名であるジョニー・ワッドとして知られている、アメリカ合衆国ポルノ男優。古今を通じて最も有名なポルノスターの1人である。1970年代から1980年代にかけて、少なくとも1本の長編、数本の短編ゲイ・ポルノを含めて2500本ものビデオ等に出演した。彼はポルノ界で最も巨大であると喧伝された、例外的に大きいペニスのためポルノ業界のみならず有名であった。但し、その正確な寸法は明らかになっていない。また、ホームズは1981年のワンダーランド殺人事件に関与したことでも有名である。彼は1988年3月13日にエイズのため死亡した。

ホームズは、1989年に「ローリング・ストーン」誌に長い記事が組まれ、1998年に長編ドキュメンタリー映画が製作された。また彼は2本のハリウッド映画『ブギーナイツ』と『ワンダーランド』の着想の源となった。

彼はAVN殿堂[1]、Legends of Erotica[2]XRCO殿堂[3]のメンバーである。またAVNは古今の50人の最も偉大なポルノスターのリストで彼を3位にランクしている[4]。ちなみに、トム・クルーズ夫人のケイティ・ホームズは彼の親戚である。
前半生

オハイオ州ピッカウェイ郡アッシュヴィル (Ashville) にジョン・カーティス・エステスとして生まれたホームズだが、鉄道員であった父カール・エステスは、ホームズが3歳か4歳の時に家族を離れたため、父親の記憶はほとんどないという。数年後、ジョンの母であるメアリ(敬虔なる南部バプテスト)はエドワード・ホームズと結婚し、子供たちの姓をホームズへと変えた[5]。エドワードはアルコール依存症患者であり、毎日泥酔した状態で帰宅した。家の中を千鳥足で歩き、子供たちの上に吐くことさえあった。メアリは後にエドワードと離婚し、子供たちとコロンバス (オハイオ州)に移転して数年間生活保護を受けて過ごした。ジョンが8歳の時、母親は3人目の夫ハロルド・ボウマンと再婚した。一家はコロンバスから近くのパタスカラ (Pataskala) に移り住んだ。ホームズの最初の妻シャロンによれば、結婚後数年するとボウマンは4人兄弟の末っ子であるジョンにしばしば暴力をふるうようになった[6]

ジョンが16歳のとき、暴力をふるおうとしたボウマンに対し、既に大柄なティーンエイジャーとなっていたジョンは反撃して、逆にボウマンを殴り倒し、階下に投げ飛ばした[6]。家を飛び出し数日間路上で生活した後、ジョンは家に戻り、これ以上家にいたら自分はボウマンを殺すだろうと母親に告げた。母親の許可を求めた後、ホームズはアメリカ陸軍に入隊し、通信隊員としてドイツで3年間過ごした。除隊後ホームズはロサンゼルスに移り、戸別訪問販売、コーヒーキャンディ工場のタンク管理など、さまざまな仕事をした。看護師のシャロンに逢ったのは、救急車運転手としての割り当て仕事の期間中であった。2人は1965年8月に結婚した[7]
ポルノの経歴ジョン・ホームズはエルヴィスロックンロール界に君臨したように、ポルノ映画界に君臨した。彼は単純明快にキングであった。 ? 撮影監督 Bob Vosse ドキュメンタリー映画『Wadd: The Life and Times of John C. Holmes』

結婚から2年間は、ホームズと妻のシャロンは静かで何の問題もない人生を送っていた。ホームズは精肉業者の倉庫でフォークリフトドライバーとして働いた。しかし砂漠の熱気に晒される外部と、氷点下のウォークイン式冷凍室を出入りする仕事は著しい健康上の問題を引き起こし、勤務した2年間の内7?9ヵ月にわたり右肺の3ヶ所に気胸を生じた[7]。病気療養中、ホームズはガーデナのメンズ・カードゲーム・クラブに頻繁に出かけた。ある夜トイレで彼の隣に立っていたスチール・カメラマンが、彼の途方もないペニスの寸法に気づき、ポルノに出演することを勧めた。1960年代後期、ホームズは手始めに雑誌と、時折8mmの短編映画に出演した。ポルノの仕事は妻には秘密にしていた。当時はポルノの製造販売は秘密裏に行なわれており、ビデオDVDの大量生産、ましてやインターネットなども無い時代だったので、隠すのは簡単であった。

彼の最初の数ダースの短編の宣伝文句には、めったに名前が載っておらず、載ったとしても本名とは似ても似つかない名前が与えられた。実際、初期の「スウェディッシュ・エロティカ」シリーズの1973年のパンフレットには、ホームズの短編が5作リストされているが、顔の特徴から明らかに同一人物と判るものの、「フレッド」、「デイブ」、「ルディ」、「ビッグ・ディック」、「スタン」とバラバラな名前を付けられている。ホームズはポルノ歴の初期には、「スマット(ポルノ)のスルターン」と呼ばれていた。

ディープ・スロート』(1972年)『グリーンドア』(1972年)『ミス・ジョーンズの背徳』(1973年) の成功により、合法性に関してはまだ激しく争われていたものの、ポルノはシック(おしゃれ)なものとなった。ホームズはこの頃ポン引きと売春斡旋で逮捕されたが、ロサンゼルス市警察の情報提供者になることによって刑期を免れた[8]

1973年、ホームズの名声はハードボイルドな私立探偵("hard boiled dick" には「勃起したディック(ペニス)」と「ハードボイルド探偵」の二重の意味が込められている)ジョニー・ワッドを主役とするポルノ・シリーズとともに高まり始めた。9作作られたシリーズは大ヒットし、ホームズが街を歩けば「ジョニー・ワッド」と声をかけられるほど、このキャラクターは彼の代名詞となった。1978年までには、ホームズはポルノ男優として1日3,000ドルも稼いでいたと言われる。しかし、この頃から勃起の維持能力に影響を及ぼし始めたほどの、ホームズのコカイン乱用が問題になっていった。
その「すごさ」に関する議論

演技力の欠如にもかかわらず彼を有名にしたのは、彼の例外的に大きなペニスであった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef