ジョン・ベイナー
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アメリカ合衆国政治家ジョン・ベイナーJohn Boehner

生年月日 (1949-11-17) 1949年11月17日(74歳)
出生地 アメリカ合衆国
オハイオ州レディング(英語版)
出身校ゼイビアー大学(英語版)
所属政党共和党
称号旭日大綬章[1]
配偶者デボラ・ガンラック (1973年 - )
サイン
公式サイト ⇒John Boehner
アメリカ合衆国
61代目下院議長
在任期間2011年1月5日 - 2015年10月29日
大統領バラク・オバマ
アメリカ合衆国下院
少数党院内総務
在任期間2007年1月3日 - 2011年1月3日
下院議長ナンシー・ペロシ
アメリカ合衆国下院
多数党院内総務
在任期間2006年2月2日 - 2007年1月3日
下院議長デニス・ハスタート
アメリカ合衆国下院
教育労働委員長
在任期間2001年1月3日 - 2006年1月3日
下院議長デニス・ハスタート
アメリカ合衆国下院
共和党会議議長
在任期間1995年1月3日 - 1999年1月3日
下院議長ニュート・ギングリッチ
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ジョン・アンドリュー・ベイナー(英語: John Andrew Boehner, 1949年11月17日 - )は、アメリカ合衆国政治家。所属政党は共和党

連邦下院議員(13期)、連邦下院共和党会議議長連邦下院多数党院内総務、連邦下院少数党院内総務、第61代連邦下院議長を歴任した。
来歴
生い立ち

1949年オハイオ州シンシナティ近郊のレディング(英語版)に12人兄弟の次男として生まれる。ベトナム戦争中の1968年に海軍に徴兵されるが、身体の故障により訓練期間中に名誉除隊となる。実家は裕福ではなかったが、苦学してゼイビアー大学(英語版)に進み、経営学の学士号を取得した。

大学卒業後はプラスチック関係の地元中小企業に就職して成功を収め、経営者となる。1984年には地元・オハイオ州の州下院選に共和党候補として第57選挙区から出馬し、当選。1990年まで務める。
下院議員オハイオ州の連邦下院選区割(2003年 - 2012年)。8区(左側のオレンジ色)はシンシナティデイトンの近郊。

1990年、地元・オハイオ州の第8選挙区から連邦下院選に出馬し、以来、13回連続で当選を重ねる。議員初期の頃には下院の綱紀粛正活動で注目を集め、同期当選のリック・サントラムらと共に「七人組」(Gang of Seven)と称された。

後に下院議長を務めるニュート・ギングリッチの側近として薫陶を受け、ギングリッチが1994年の中間選挙で保守革命・「米国との契約(英語版)」を掲げて与野党逆転を実現すると、下院共和党ナンバー4のポストである下院共和党会議議長に就任するなど、順調にキャリアを積み重ねていった。しかし1999年、ギングリッチが前年の中間選挙で共和党が下院の議席数を減らしたことの責任を取る形で下院議長を辞任すると、それに連座して無役となる。
院内総務

1999年にギングリッチが失脚して以降、下院共和党ではギングリッチの政敵だったトム・ディレイが急速に台頭する。2001年からの5年間、ベイナーは下院の教育労働委員長を務めるものの不遇であった。

しかし、2005年9月にディレイが政治資金流用で起訴され失脚すると、改革を求めるジェフ・フレイクら中堅・若手の下院議員がベイナー擁立に動き、2006年2月、下院共和党のナンバー2(当時[2])である多数党院内総務に当選する。当初、この選挙戦はディレイの最側近としてディレイの下で院内幹事を務め、ディレイが辞任した後には臨時院内総務も務めていたロイ・ブラントが優勢だったものの、ベイナーが終盤で支持を急速に拡大した[3]2006年2008年の下院選では、ジョージ・W・ブッシュ政権に対する風当たりの強さなどもあって共和党は大敗を喫したものの、ベイナーは引き続き少数党院内総務を務め続けた。


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