ジョン・ブラウン(John Brown、1735年 ? 1788年10月17日)は、スコットランドの医師である。病気は外部からの刺激の過不足によって起こるとする「ブラウニズム」と呼ばれる医療体系を提唱した。 スコットランドのベリックシャー
生涯
1795年にブラウンの家族の生活を助けるために、カレンの尽力で有名な医師、トーマス・ベドーズ(Thomas Beddoes)による『医学原論』の解説本が出版された。1804年には息子、ウィリアム・カレン・ブラウンによって評伝が出版された。 ロイ・ポーターの『人体を戦場にして』によれば、ブラウンの時代は「機械論」に対抗するものとして、生理学的研究が始まった時代であった。スイスのアルブレヒト・フォン・ハラー(Albrecht von Haller)が筋肉の収縮について実験、考察し、カレンは生命そのものを神経の力の作用によるものであると見なし、病気(とくに精神病)が引き起こされるときの神経系統の役割を力説した。ブラウンはカレンの考えを推し進め、健康と病気の一切を刺激に対する感応性で理解しようとした。病気は適切な刺激作用が擾乱されることであり、病人の体が興奮過多であるか、興奮過少であるかによってそれぞれ「強壮である」あるいは「虚弱である」として扱う必要があると主張した。しかしながら、実際の治療はどちらの体調異常にも、アルコール飲料とアヘンの多量の服用をすすめるものであった。ブラウンもアルコール中毒患者になって死んだとされる。[1]
ブラウンの医療理論
脚注^ 『人体を戦場にして』、ロイ・ポーター(著)目羅公和(訳)法政大学出版部(2003年)ISBN 4588022199
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