ジョン・バッカス
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ジョン・バッカス

生誕 (1924-12-03) 1924年12月3日
ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (2007-03-17) 2007年3月17日(82歳没)
オレゴン州アシュランド
国籍 アメリカ合衆国
研究分野計算機科学
研究機関IBM
出身校コロンビア大学
主な業績Speedcoding
FORTRAN
ALGOL
バッカス・ナウア記法
関数レベルプログラミング(英語版)
主な受賞歴アメリカ国家科学賞(1975)
チューリング賞(1977)
チャールズ・スターク・ドレイパー賞(1993)
プロジェクト:人物伝
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ジョン・ワーナー・バッカス(John Warner Backus, 1924年12月3日 - 2007年3月17日)は、アメリカ合衆国計算機科学者。初期の高水準プログラミング言語 (FORTRAN) の発明者[1]、(形式言語文法の定義に汎用的に用いられる)バッカス・ナウア記法の発明者、また関数レベルプログラミング(英語版) (Function-level Programming) の提唱者でもある。
生涯

ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、デラウェア州ウィルミントンで育った。ペンシルベニア州ポッツタウンの The Hill School で学んだが、まじめな学生だったとは言えない[2]。化学を学ぶためにバージニア大学に進学したが挫折し、アメリカ陸軍に入隊[2]ハバフォード大学で医療を学びはじめ[3]、病院でのインターン時代に頭蓋の骨腫瘍と診断されたものの、手術は成功した。手術で頭にプレートを入れられ、9カ月で医療の道をあきらめたが、後に自分が設計したプレートに入れ替える手術を行った[4]

ニューヨーク市に移り住み、ラジオ技術者としての訓練を受け始め、数学が向いていることに気づいた。彼は1949年にコロンビア大学で数学の修士号を取得し、1950年にIBMに入社した。IBMでの最初の3年間、彼はSSECを使った仕事に従事した。最初の大きな仕事はの位置を計算するプログラムを作成することだった。1953年、プログラミング言語 Speedcoding を開発。IBMのコンピュータで動作する初の高水準言語だった[5]

プログラミングが難しいことから、1954年になるとバッカスはチームを結成して IBM 704 コンピュータのためのFORTRANの設計と開発を行った。これは世界初の高水準プログラミング言語ではないものの、広く使われた世界初の高水準言語となった。

1950年代後半、バッカスは ALGOL 58 を開発した国際委員会の一員としても働いた。ALGOLはアルゴリズムを記述する際の世界的なデファクトスタンダードとなった。また1959年UNESCOレポートにおける ALGOL 58 の言語仕様記述のためバッカス・ナウア記法 (BNF) を考案。BNFは任意の文脈自由形式言語の文法(形式文法)を記述でき、その後のプログラミング言語の開発に重要な役割を果たした。これらの貢献からチューリング賞を受賞した。

その後彼は「関数レベル」プログラミング言語(英語版) FP に取り組んだ。これはチューリング賞受賞の際の講演 "Can Programming be Liberated from the von Neumann Style?"(プログラミングはフォン・ノイマン的スタイルから解放されるか?)で述べられている。この論文は FORTRAN を生み出したことへのバッカスの謝罪と受け取られることもあり、彼の研究していた FP そのものよりも関数型プログラミング一般の研究を盛んにする結果となった。FPインタプリタ4.2BSD 上に実装されている。FP はケネス・アイバーソンAPLの影響を強く受けており、標準的でない文字も使っている。その後のバッカスは FP言語の後継の FL (Function Level) の開発に注力した。FL はIBM内部のプロジェクトであり、プロジェクト終了とともに言語の開発も終了し、論文もわずかしか発表されていない。しかし、この言語の革新的で重要なアイデアの数々はアイバーソンのJ言語に実装された。

バッカスは1963年にIBMフェローとなった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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