ジョン・ノイマイヤー(John Neumeier、1939年2月24日 - )は、米国出身のバレエダンサー・振付家である[1]。1973年よりドイツのハンブルク・バレエ団で芸術監督を務めている[2]。 1939年、米国のウィスコンシン州ミルウォーキーに生まれる[3]。父はドイツ系、母はポーランド系の家系で、両親はともにカトリックであった[4]。幼少期から芸術に興味を持ち、美術教室で絵画を学ぶとともに、ミュージカル映画や、地元に巡業に来たバレエ・リュス・ド・モンテカルロの公演などを通し、ダンスにも魅了されていた[5]。ノイマイヤーは両親に頼み込んでタップダンスのレッスンを受け始め、やがて近隣のバレエ学校に通うようになるが、この時点では将来の進路を決めてはいなかった[5]。 地元ミルウォーキーのマーケット大学 1961年に大学を卒業したノイマイヤーは、本格的にクラシック・バレエを学ぼうと決意し、1962年からロンドンのロイヤル・バレエ学校に通い始めた[2][5][6]。並行して、デンマーク王立バレエ学校の教師であったヴェラ・ヴォルコワの元にも通い、個人レッスンを受けていた[2][5]。 1963年、ロイヤル・バレエ学校を訪れたマルシア・ハイデがノイマイヤーに目を留めたことをきっかけに、当時ハイデが活躍していたシュトゥットガルト・バレエ団へソリストとして入団した[5][7]。当時のシュトゥットガルト・バレエ団は、芸術監督ジョン・クランコの下で、「シュトゥットガルトの奇跡」と呼ばれる急速な発展を遂げている最中であった[8]。ノイマイヤーはこのバレエ団でダンサーとして踊りながら、クランコの下で振付を開始した。この時期の作品に、俳句をモチーフとし日本的なデザインの衣装を用いた『俳句』(1966年)などがある[5][9]。 『俳句』などの作品が評価されたノイマイヤーは、1969年にフランクフルト・バレエ団 1973年、ノイマイヤーはハンブルク・バレエ団の芸術監督兼首席振付家に就任した[2]。以後、ノイマイヤーは150を超える作品を創作し、同バレエ団を、ドイツを代表するカンパニーの一つへと成長させた[11][12]。また、ハンブルク・バレエ団のみならず世界中のバレエ団に作品を提供しており、日本の東京バレエ団に『月に寄せる七つの俳句』(1989年)と『時節(とき)の色』(2000年)、フランスのパリ・オペラ座バレエに『シルヴィア』(1997年)などを振り付けている[13][14]。 ノイマイヤーはバレエ関連資料のコレクターとしても知られ、1万冊以上の書籍と、1万点以上の物品(絵画・彫刻・写真等)を所蔵しており、中でもヴァーツラフ・ニジンスキーに関連する資料が充実している[15]。2006年に設立されたジョン・ノイマイヤー財団は、このコレクションを管理し、将来的に一般公開することを目的として活動している[3][15]。 2015年、ノイマイヤーは、思想・芸術分野で優れた業績を上げた人物に贈られる京都賞思想・芸術部門を受賞した。京都賞の運営団体である稲盛財団は、贈賞理由として「ノイマイヤー氏は、伝統的なバレエの動きをベースにしながら身体の持つ表現力を最大限に引き出し、それによって人間心理を深く探求している振付家である」と述べ、ノイマイヤーが20世紀以降のバレエに多大な影響を与えたことを評価している[6]。 私生活では、2018年12月に長年のパートナーであった男性と結婚した[16]。 ノイマイヤーは様々なスタイルのバレエ作品を創作しているが、それらは概ね3つの系列に分けることができるとされる[6][7][17][18]。
経歴
幼少期から大学時代まで
ヨーロッパでの活動
ハンブルク・バレエ団での活動
作品『椿姫』『真夏の夜の夢』『マーラー交響曲第3番』のカーテンコール
作品の分類