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ジョン・ネイピア
生誕1550年2月1日
スコットランド王国 エディンバラ マーキストン城(英語版)
死没 (1617-04-04) 1617年4月4日(67歳没)
スコットランド王国 エディンバラ
国籍 スコットランド王国
研究分野数学
出身校セント・アンドルーズ大学
主な業績対数、ネイピアの骨、十進記数法
影響を
与えた人物ヘンリー・ブリッグス
プロジェクト:人物伝
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ジョン・ネイピア(John Napier, 1550年2月1日 - 1617年4月4日)はスコットランドのバロン。数学者、物理学者、天文学者、占星術師としても知られる。 ジョン・ネイピアは、スコットランドのバロンであり、熱心なプロテスタントである。幅広い事に興味を持って研究した人物で、特に、対数の発見者として知られる。使用人の誰かが屋敷の物を盗んでいるとにらんだネイピアは、鶏に煤を塗り、暗い部屋に置いた。犯人が触れば鶏がそれを知らせるといって、全ての使用人に鶏を触りに行かせた。罪の発覚を恐れた犯人は触らずに戻ってきたため、使用人達の手のひらの汚れから、犯人を特定した。 という逸話でも知られる、個性的な発想に恵まれた発明家である。 ネイピアは、自分の領地の収穫を増やすために肥料や揚水機の研究をしたり、スペインの侵攻に備えて軍事兵器を発案したりもしている。 ネイピアの数ある発明の中で、後世に特に大きな影響を与えたものは、対数とネイピアの骨である。いずれも科学で必要な計算を少しでも簡単にしようとして生み出された計算のための技術であり、他の人々の手によって形が変えられているものの、現代の科学技術の礎ともなっている。また、小数点の発案者でもある。 宗教的活動も活発に行っており、ヨハネの黙示録を独自に解釈し、カトリック教会やローマ教皇を非難した著書も広く読まれた。 ネイピアの考え出したもののうち、最も科学に影響を与え、受け入れられたのが対数である。対数は、かけ算を足し算に、割り算を引き算に変える。そのため、巨大な数のかけ算や割り算が、対数を使うと容易になる。 対数の概念の発見自体はビュルギの方が先だったが、ビュルギが長い間発表しなかったために対数はネイピアの業績として知られている。天文学の膨大な計算を簡単に行えるようにした対数について、ラプラスは、対数は天文学者の寿命を 2 倍にしたと賞賛している。 ネイピアが考えた対数は、現代的なloga(x) の形のものではない。 正の実数 x に対して x = 10 7 ( 1 − 1 10 7 ) p {\displaystyle x=10^{7}\left(1-{\frac {1}{10^{7}}}\right)^{p}} を満たす実数 p が唯一つ定まる。この x と p の対応を調べて表にし、 x の計算を p の計算に置き換えるというのがネイピアの発想である。つまり、対数の底は固定値 ( 1 − 1 10 7 ) {\displaystyle \left(1-{1 \over 10^{7}}\right)} であり、現代的な対数と違って、かけ算を足し算に、割り算を引き算に変える目的だけで作られている(乗算と除算を容易にしたいだけなので、底は固定値で良い)。 この p のことを ネイピアの対数 (Napierian logarithm) という。
概要
業績
対数現代的な解説については「対数」を参照