ジョン・ニューカム
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ジョン・ニューカム
John Newcombe


ジョン・ニューカム
基本情報
フルネームJohn David Newcombe
国籍 オーストラリア
出身地シドニー
生年月日 (1944-05-23) 1944年5月23日(80歳)
身長183cm
体重80kg
利き手右
バックハンド片手打ち
殿堂入り1986年
ツアー経歴
デビュー年1960年
引退年1981年
ツアー通算74勝
シングルス41勝
ダブルス33勝
生涯通算成績788勝271敗
シングルス455勝156敗
ダブルス333勝115敗
生涯獲得賞金$1,062,408
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝(1973・75)
全仏ベスト8(1969)
ウィンブルドン(英)優勝(1967・70・71)
全米優勝(1967・73)
優勝回数7(豪2・英3・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(1965・67・71・73・76)
全仏優勝(1967・69・73)
ウィンブルドン(英)優勝(1965・66・68・69・70・74)
全米優勝(1967・71・73)
優勝回数17(豪5・仏3・英6・米3)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪優勝(1965)
全仏準優勝(1965)
ウィンブルドン(英)優勝(1964)
優勝回数2(豪1・英1)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(1964-67・69)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(1974年6月3日)
ダブルス1位
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ジョン・ニューカム(John Newcombe、フルネーム:ジョン・デビッド・ニューカム (John David Newcombe)、1944年5月23日 - )は、オーストラリアシドニー出身の男子テニス選手。

1960年代から1970年代前半にかけて、オーストラリア・テニス界の黄金時代を築いた名選手のひとりである。重いサービスとフォアハンド・ストローク、ボレーを中心に組み立てるプレー・スタイルで、芝生のウィンブルドン選手権を最も得意にした。

4大大会でシングルス通算7勝(全豪オープン2勝、ウィンブルドン3勝、全米オープン2勝)を挙げたが、赤土のクレーコートが苦手で、全仏オープンではどうしても優勝できなかった選手の1人である。
来歴

ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的にテニスに専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表監督だったハリー・ホップマン1906年 - 1985年)に才能を認められ、ニューカムは1963年からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。1964年から1967年まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。1967年に、ニューカムはウィンブルドン選手権全米選手権4大大会2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会(全豪選手権全仏選手権ウィンブルドン選手権全米選手権)の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。

その翌年、1968年にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ全豪オープン全仏オープンウィンブルドン選手権全米オープンに変更された。1968年以後のテニス記録は「オープン化時代」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。1970年1971年、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。1973年には全米オープンで6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の1967年であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の全豪オープンでは1973年1975年の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、1974年に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。

ジョン・ニューカムはダブルス選手としても優れ、同じオーストラリアトニー・ローチとのペアで天下無敵の強さを発揮した。ニューカムはダブルスではすべての4大タイトルを獲得しているが(全豪5勝、全仏3勝、ウィンブルドン6勝、全米3勝=総計17勝)、そのうち12勝がローチとのコンビである。(ニューカム&ローチ組の4大大会ダブルス優勝:全豪4勝、全仏2勝、ウィンブルドン5勝、全米1勝=総計12勝)男子テニスの歴史を通じて、同一ペアですべての4大大会男子ダブルス・タイトルを獲得した組は6組だけであるが、ニューカム&ローチ組はその1つに数えられる。1986年、ニューカムはローチと一緒に国際テニス殿堂入りを果たした。
4大大会優勝

全豪オープン 男子シングルス:2勝(1973年・1975年)/男子ダブルス:5勝(1965年・1967年・1971年・1973年・1976年)

全仏オープン 男子ダブルス:3勝(1967年・1969年・1973年) [全仏のみ、男子シングルス優勝なし]

ウィンブルドン 男子シングルス:3勝(1967年・1970年&1971年)/男子ダブルス:6勝(1965年・1966年・1968年-1970年・1974年) [男子シングルス2連覇・男子ダブルス3連覇を含む]

全米オープン 男子シングルス:2勝(1967年、1973年)/男子ダブルス:3勝(1967年・1971年・1973年)/混合ダブルス:1勝(1964年)

年大会対戦相手試合結果
1967年ウィンブルドン選手権 ウィルヘルム・ブンゲルト6-3, 6-1, 6-1
1967年全米選手権 クラーク・グレーブナー6-4, 6-4, 8-6
1970年ウィンブルドン選手権 ケン・ローズウォール5-7, 6-3, 6-2, 3-6, 6-1
1971年ウィンブルドン選手権 スタン・スミス6-3, 5-7, 2-6, 6-4, 6-4
1973年全豪オープン オニー・パルン6-3, 6-7, 7-5, 6-1
1973年全米オープン ヤン・コデシュ6-4, 1-6, 4-6, 6-2, 6-3
1975年全豪オープン ジミー・コナーズ7-5, 3-6, 6-4, 7-6

4大大会シングルス成績
略語の説明

 W  F SFQF#RRRQ#LQ A Z#PO G  S  B NMS P NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会1960196119621963196419651966196719681969197019711972197319741975197619771978
全豪オープン1RAQFQFQFSFSFSFAQFQF3RQFWQFWFQFA
全仏オープンA3R3RA2RQF3R4RAQFAAA1RAA1RAA


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