ジョン・ド・ワーレン_(第6代サリー伯爵)
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第6代サリー伯爵
ジョン・ド・ワーレン
John de Warenne
6th Earl of Surrey
サリー伯爵ワーレン家
6代サリー伯を描いた印章
続柄5代サリー伯の長男

称号6代サリー伯爵
出生1231年

死去1304年9月29日

配偶者アリス(英語版)
子女ウィリアム(英語版)(長男)
エレノア(長女)
イザベラ(英語版)(次女)
父親5代サリー伯ウィリアム(英語版)
母親マチルダ(旧姓マーシャル)
役職スコットランド総督
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第6代サリー伯爵ジョン・ド・ワーレン(: John de Warenne, 6th Earl of Surrey、1231年頃 - 1304年9月29日)は、イングランドの貴族。

イングランド王ヘンリー3世の異父妹と結婚し、ヘンリー3世、エドワード1世の2代にわたってイングランド王室に仕えた。
経歴

1231年頃、第5代サリー伯爵ウィリアム・ド・ワーレン(英語版)とその妻マチルダ(初代ペンブルック伯爵ウィリアム・マーシャルの娘)の間の長男として生まれる[1][2]

1240年に父が死去し、第6代サリー伯爵位を継承した。1247年にイングランド王ヘンリー3世の異父妹アリス・ド・リュジニャン(英語版)と結婚した[3]

1258年の貴族のヘンリー3世への反乱に際しては、義兄ヘンリー3世を支持した。その後シモン・ド・モンフォールを支持した時期もあるが、1264年第2次バロン戦争に際しては再びヘンリー3世派として参戦した。1265年には皇太子エドワード(後のエドワード1世)の指揮下でイーヴシャムの戦いに参戦した[3]

その後、ヘンリー3世と不和となり、一時的に領地で引退生活を送ったものの、1272年にエドワード1世が即位すると再び重用されるようになった[3]

娘婿にあたるスコットランド王ジョン・ベイリャル1296年にエドワード1世に反旗を翻した際には、サリー伯がウェールズで徴兵してスコットランド侵攻軍を組織・指揮し、ダンバーの戦い(英語版)でベイリャル率いるスコットランド軍を撃破した。この戦功によりエドワード1世からスコットランド総督に任命された[3]

強圧支配によってスコットランド民衆を徹底的に弾圧したが、それによりスコットランド民衆の抵抗運動は高まっていった[4]。1297年7月までに南西部の抵抗運動の鎮圧に成功したものの、ウィリアム・ウォレスとアンドルー・マリー(英語版)率いるスコットランド軍は中部から北東部にかけて勢力を拡大した。これを危険視したサリー伯爵は討伐軍を起こし、1297年9月11日にスターリング・ブリッジの戦いでスコットランド軍と衝突したが、惨敗を喫した[5][6]。しかしその翌1298年フォルカークの戦いではエドワード1世の指揮下で参加して勝利し、雪辱を果たしている[5]

彼は外征ではエドワード1世にどこまでも忠実だったが、イングランド国内においてはイングランド貴族の代表として行動することが多く、王権による貴族権力抑制に抵抗した。1278年から1279年にかけては王権拡大を狙った権限開示令状(英語版)に反対した[3]

1304年9月29日サリー・ケニントン(英語版)で死去[2]
家族

1247年ユーグ10世・ド・リュジニャンの娘アリス(英語版)と結婚した。彼女の母はジョン王の王妃だったイザベラであり、したがってヘンリー3世の異父妹にあたる[4]。彼女との間に息子1人(ウィリアム・ド・ワーレン(英語版))と娘2人(長女エレノアと次女イザベラ(英語版))を儲けた[1]

長男ウィリアムに先立たれたため、爵位はウィリアムの長男ジョン(英語版)が継承した[7]。次女イザベラはスコットランド王ジョン・ベイリャルと結婚した[8]
脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^ a b Lundy, Darryl. “ ⇒John de Warenne, 7th Earl of Surrey” (英語). ⇒thepeerage.com. 2015年11月14日閲覧。
^ a b .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}Lee, Sidney, ed. (1899). "Warenne, John de (1231?-1304)" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 59. London: Smith, Elder & Co.


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