ジョン・ドルトン
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ジョン・ドルトン

生誕1766年9月6日
グレートブリテン王国 イングランド カンバーランド州 イーグルスフィールド
死没1844年7月27日(1844-07-27)(77歳)
グレートブリテン及びアイルランド連合王国 イングランド マンチェスター
主な指導学生ジェームズ・プレスコット・ジュール
主な業績原子説
倍数比例の法則
ドルトンの法則
署名
プロジェクト:人物伝
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ジョン・ドルトン(John Dalton, 1766年9月6日 - 1844年7月27日)は、イギリス化学者物理学者気象学者。原子説を提唱したことで知られる。また、自分自身と親族の色覚を研究し、自らが先天色覚異常であることを発見したことによって、色覚異常を意味する「ドルトニズム (Daltonism)」の語源となった。
生い立ち

カンバーランド州イーグルスフィールドで、クェーカー教徒の一家に生まれる。機織りの息子であり、地元の小学校で初等教育を受けたが、そこの教師が1778年に引退すると12歳にして教師となった。15歳のとき兄と共に近くのケンダルでクェーカー教徒の学校を運営。1790年ごろ法律家か医師になることを志したが、当時のイングランドでは非国教徒は大学に入学できなかったため親族に反対され、1793年までケンダルに留まり、その後マンチェスターに引っ越した。盲目の哲学者で博物学者のジョン・ゴフ (en) に師事して科学知識を身につけ、新たに創設されたマンチェスター・アカデミー(後のハリス・マンチェスター・カレッジ)で数学と自然哲学の教師になった。1800年までそこで教師を続けたが、大学の財政が悪化したため職を辞し、数学と自然哲学の家庭教師として働くことにした。

若いころのドルトンはイーグルスフィールドのクェーカー教徒エリヒュー・ロビンソンに強く影響を受けている。ロビンソンは有能な気象学者で機器製作者であり、ドルトンに数学と気象学への興味を植えつけた。ケンダルにいたころ、ドルトンは Gentlemen's and Ladies' Diaries 紙に寄せられた様々な問題や疑問に答えており、1787年から気象学に関する日記をつけ始めた。その後の57年間で日記には20万以上の気象観測記録が記された[1]。同じころジョージ・ハドレー(英語版)の大気循環理論(ハドレー循環)を独自に再発見している[2]。ドルトンの最初の出版物は Meteorological Observations and Essays (1793) で、後の発見の萌芽がいくつか見られる。しかしその独創的論文に他の学者が注目することはほとんどなかった。2作目の Elements of English Grammar は1801年に出版。
色覚異常

1794年、マンチェスターに移って間もなく、ドルトンは Manchester Literary and Philosophical Society、通称 "Lit & Phil" の会員に選ばれた。その数週間後自らの色覚を題材にした論文を発表し、先天色覚異常が眼球の液体培地の変色によって起きるという仮説を提唱した。西欧近代科学においては、ドルトンが自らの色覚を観察し発表するまで先天色覚異常に関する学術研究が行われていなかったとの定説がある。ドルトンの仮説の誤りは存命中に明らかになったが、研究の先駆性が評価され、先天色覚異常をドルトニズムと呼ぶようになった。ドルトンの死後保存された眼球の組織を1995年に調査したところ、ドルトンの先天色覚異常は中波長の錐体細胞(M-錐体)が働かないもの(2型2色覚)であることが判明した。なお、ドルトンは論文で次のように記している。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}他者がと呼ぶ色は私には単なる影のやや明るい部分にしか見えない。オレンジ色、黄色、は様々な明るさの黄色にしか見えない。

この論文に続いて、湧水の起源、の色、水蒸気英語助動詞分詞、光の反射屈折といった様々な主題の論文を書いた。
原子説

1800年、Manchester Literary and Philosophical Society の職員となり、翌年には "Experimental Essays" と題した一連の重要な論文を発表。気体の混合物について、真空または大気中での様々な温度における水蒸気や他の蒸気の圧力について、蒸発について、気体の熱膨張率について論じた。この4つの論文は1802年の Lit & Phil の学会誌 '2番目の論文は次のような強烈な意見表明から始まる。純粋な気体を冷却し高圧をかけることで影響を与えることを諦めるべきではない。

0℃から100℃までの様々な温度での水蒸気圧の測定実験の後、ドルトンは6種類の異なる液体の蒸気圧を観察し、同じ温度変化による蒸気圧の変化は液体の種類に依存しないと断定した。

4つめの論文では次のように記している。空気が温度に比例して膨張することから、定圧状態のあらゆる弾性流体は水銀柱のように加熱によって等しく膨張すると結論付けられない十分な理由はない。


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