ジョン・チャーチル
John Churchill
初代マールバラ公
初代マールバラ公ジョン・チャーチル(アドリアーン・ファン・デル・ウェルフ画、1704年)
在位1702年12月14日 - 1722年6月16日
出生 (1650-05-26) 1650年5月26日
イングランド王国、デヴォンシャー
死去 (1722-06-16) 1722年6月16日(72歳没)
グレートブリテン王国、ウィンザー、ウィンザー・ロッジ
初代マールバラ公爵ジョン・チャーチル(英: John Churchill, 1st Duke of Marlborough, KG, PC、1650年5月26日 - 1722年6月16日(グレゴリオ暦6月27日))は、イングランド及びイギリスの軍人、貴族。
廷臣として出世を遂げると共にスペイン継承戦争で軍才を発揮して、1代でイギリスの名門貴族マールバラ公爵家を興した。イギリス首相ウィンストン・チャーチル、イギリス皇太子妃ダイアナ・スペンサーの先祖としても知られている。 1650年、清教徒革命にともなうイングランド内戦中に王党派のジェントリ、ウィンストン・チャーチルとエリザベス・ドレーク夫妻の子としてデヴォンシャーで生まれた。姉アラベラは父とアーリントン伯ヘンリー・ベネットの知己で宮廷に仕えヨーク公ジェームズ(後のイングランド王ジェームズ2世)の愛人となり、2人の弟ジョージ
生涯
誕生から名誉革命まで
1660年に王政復古が実現してチャールズ2世が即位した後、姉アラベラが王弟のヨーク公の寵愛を受けるようになったことと、父とアーリントンの縁で16歳の時、ヨーク公配下で軍人となった。1668年から1670年はモロッコのタンジール(当時イギリス領)の守備隊に加わり、帰国後の1672年からは同盟国フランスが起こしたオランダ侵略戦争に従軍し、三十年戦争におけるフランスの英雄テュレンヌ元帥の知遇を受けてその軍才を見出された。後に敵となるヴィラールとブーフレールとも陣中で知り合い、末期にはヨーク公の甥で娘メアリー(後のメアリー2世)の夫でもあるオラニエ公ウィレム3世(後のウィリアム3世)の連絡役を務めた[1]。