初代シュルーズベリー伯爵
ジョン・タルボット
John Talbot
1st Earl of Shrewsbury
シュロップシャー・ウィッチチャーチ
初代シュルーズベリー伯爵ジョン・タルボット(英語: John Talbot, 1st Earl of Shrewsbury, KG、生年不詳 - 1453年7月17日)は、イングランドの貴族、軍人。Talbotの日本語表記はトールボットが定訳[1]。
百年戦争中のイングランド軍の主要な指揮官の一人であり、ランカスター朝における唯一のフランス軍総司令官(英語版、フランス語版)である。シュルーズベリー伯爵タルボット家(チェットウィンド=タルボット家)の祖にあたる。 イングランド・シュロップシャー・ブラックメア
生涯
初期の経歴
生年は1373年とも[2]、1390年頃[3]ともいわれる。タルボット家はノルマンディーのコー地方に起源をもつノルマン人の家系であるという[2]。
1404年から1413年にかけて、兄ギルバートと共にオワイン・グリンドゥール(オウェイン・グレンダワー)の反乱やウェールズ方面の戦争に従軍した[4]。
1413年3月にヘンリー5世が即位した際に一時逮捕されてロンドン塔へ投獄されるもすぐに釈放された[7]。釈放後、ウェックスフォードに領地を持っていた事から、1414年の2月から5年にわたってアイルランド総督を務めた。しかし何度かの戦闘を行い、第4代オーモンド伯爵ジェイムズ・バトラー(英語版)と対立したり、アイルランドにおける苛烈な統治と、ヘレフォードシャーでの残虐行為により告訴されている[4]。 1420年から1424年にかけてフランスに派遣され[4]、1424年8月のヴェルヌイユの戦いで指揮を執り、この際の戦功でガーター騎士団(勲章)ナイトに叙せられた[7]。
百年戦争に参戦
この後、1425年にごく短期間だが、アイルランド総督に再任されている[4]。 1427年に再びフランスに赴き、舅である第13代ウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムの指揮のもとモンタルジの戦いに参加するが、敗北した[7]。しかし1428年にはラヴァルやル・マンの奪取に貢献、ロエアック領主アンドレ・ド・ラヴァルを捕虜とした[8]。 同年から1429年にかけて行われたオルレアン包囲戦でも司令官のソールズベリー伯トマス・モンタキュートが11月に戦死するとサフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポールとトーマス・スケールズと共に指揮官の1人として活躍するが[9]、1429年5月にジャンヌ・ダルク率いるフランス軍の手によってオルレアンが解放されると、他のイングランド軍と共に敗走した。
1427年から1431年にかけての戦闘