ジョン・スクワイア
東京、六本木にて
基本情報
出生名John Thomas Squire
生誕 (1962-11-24) 1962年11月24日(61歳)
チェシャー、オルトリナム
ジョン・スクワイア(John Thomas Squire、1962年11月24日 - )は、イギリス出身のギタリスト、画家。
ザ・ストーン・ローゼズのギタリストとして知られる。ローゼズ脱退後はザ・シーホーセズとして1枚のアルバムを、ソロとして2枚のアルバムを、リアム・ギャラガーとの1枚の共同アルバムを発表した。2007年以降は画家としての活動に軸足を置いている。
ジョニー・マー(ザ・スミス)と並ぶ1980年代のイギリスを代表するギタリストであり、2010年にBBCが行った過去30年で最高のギタリストを選ぶ投票では13位の票を集めた[2]。 ジョン・スクワイアはマンチェスター近郊の村ティンパーリーで育った。一区画先にはイアン・ブラウンが住んでいた。彼はヘイズレーン・ジュニアスクールに通った後、イレブンプラスの試験に合格してオルトリナム・グラマースクールという男子校に入学した。彼は絵がとても上手い子供だった[3]。卒業までの2年間でスクワイアとイアン・ブラウンは深い友情を育んだ。彼らはパンク・ロックにのめりこみ、中でもザ・クラッシュに夢中だった[3]。 彼らはサウス・トラフォード・カレッジ 1980年代初頭、スクワイアとブラウンはザ・パトロールというバンドを結成した。このバンドは後にザ・ストーン・ローゼズと名前を変え、スクワイアはリード・ギタリストとして1984年から1996年までを過ごした。スクワイアとブラウンは作詞、作曲共にバンドの中心を担っていた。 ザ・ストーン・ローゼズはこの時代で最も影響力のあるバンドだった。バンドの名を冠した1989年のデビューアルバムは瞬く間にイギリスにおけるクラシックとなり、NME誌が選ぶイギリス史上最高のアルバムに選ばれた[4]。スクワイアは全ての曲をブラウンと共作し、レコードのカバーアートを自ら手掛けた。このジャクソン・ポロック風のカバーアートは1968年の五月革命が題材だった。 1990年代半ばになると、ローゼズはブリットポップムーブメントのパイオニアとして祭り上げられた。スクワイアはそれらのバンドの殆どに嫌悪感を示し、「ケンジントンの気取ったオナニー野郎」と扱き下ろした。例外として上げられるのはオアシスで、スクワイアは彼らがネブワースで行った大コンサートに参加している。彼はこのコンサート中、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、「シャンペン・スーパーノヴァ」の2曲でギターを弾いた。 バンドのセカンドアルバム『セカンド・カミング』(1994年発売)はスクワイアが殆どの作曲を担当した。アルバムはレッド・ツェッペリンやオールマン・ブラザーズ・バンドを思わせる重厚なブルースロックサウンドに仕上がり[5]、ファンの反応は賛否が分かれた。程なくしてバンドには内紛が起こり、スクワイアは1996年4月1日にバンドを脱退した。
経歴
幼少期
ザ・ストーン・ローゼズ