この項目では、アメリカ合衆国の政治家について説明しています。その他の用法については「ジョン・ジェイ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ジョン・ジェイ
John Jay
アメリカ合衆国初代最高裁判所長官
任期
1789年10月19日 ? 1795年6月25日
ノミネート者ジョージ・ワシントン
後任者ジョン・ラトリッジ
第2代ニューヨーク州知事
任期
1795年7月1日 ? 1801年6月30日
副知事スティーヴン・ヴァン・レンセラー
ジョン・ジェイ(John Jay, 1745年12月23日 - 1829年5月17日)は、アメリカ合衆国の政治家。連邦最高裁判所の初代長官、ニューヨーク州知事などを務めた。「アメリカ合衆国建国の父」(ファウンディング・ファーザーズ)の一人とみなされる。 ニューヨークで豊かな商人の家庭に生まれた。キングズ・カレッジ(後のコロンビア大学)に学ぶ。アメリカ独立への機運が高まる中で開催された大陸会議に参加し、一時は議長も務めた。アメリカ独立戦争においては外交官として活躍し、1783年に締結された講和条約であるパリ条約の草案作成に尽力した。政治的にはフェデラリスト(連邦主義、合衆国政府の権限強化を支持)の立場をとった。ジェームズ・マディソン、アレクサンダー・ハミルトンとともに、ザ・フェデラリスト論文の執筆者となる。
生涯