ジョン・シナ
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ジョン・シナ

ジョン・セナ

ジョン・シーナ

ジョン・シナ
2018年7月
本名ジョン・フェリックス・アンソニー・シナ・ジュニア
生年月日 (1977-04-23) 1977年4月23日(47歳)
出身地 アメリカ合衆国
マサチューセッツ州ウェスト・ニューベリー
身長185cm
職業俳優
活動期間2000年 ? 現在
主な作品
映画
ネバー・サレンダー 肉弾凶器
12 ラウンド
エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方
バンブルビー
ワイルド・スピード』シリーズ
ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』テレビドラマ
ピースメイカー
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2018年
プロフィール
リングネームジョン・シナ
ザ・プロトタイプ
本名ジョン・フェリックス・アンソニー・シナ・ジュニア
John Felix Anthony Cena Jr.
ニックネームチャンプ
ワル学博士
俺様ラッパー
賛否両論の男
身長185cm
体重114kg
誕生日 (1977-04-23) 1977年4月23日(47歳)
出身地 アメリカ合衆国
マサチューセッツ州ウェスト・ニューベリー
所属WWE
スポーツ歴アメリカンフットボール
バスケットボール
野球
デビュー1999年11月5日
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ジョン・シナ(John Cena、1977年4月23日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー、俳優、テレビ司会者。

本名、ジョン・フェリックス・アンソニー・シナ・ジュニア(John Felix Anthony Cena Jr.)、WWE所属。

史上最も偉大なプロレスラーの一人として広く知られており、リック・フレアーと並んでプロレス史上最も多い16回の世界王座を獲得した。
経歴

大学卒業後スポーツ用品メーカーに勤めながらボディビルを行っていたが、プロレスラーに転向。UPWで活動する。
WWE
契約初期(2000-2004)

2000年10月10日、WWF(現: WWE)で非公式のデビューを果たす。2001年、WWFと契約を結ぶ。WWF傘下のファーム団体OVW時代はサイボーグギミックで、ザ・プロトタイプのリングネームで活動する。

2002年スマックダウンの下部組織的な番組であるヴェロシティーに数回出演後、6月27日のスマックダウンにて、当時WWEのトップスターの一人であったカート・アングルの対戦者公募に挑戦し、正式にWWEデビューする。カート戦では敗れたものの、試合後にジ・アンダーテイカー(当時は「アメリカン・バッドアス」というギミックだった)がシナの元へ訪れ握手を交わし、シナの健闘を称えた[注 1]。その後はジェリコと抗争、初のPPVであるヴェンジェンスでジェリコから勝利を奪った。最初は純アスリート系のベビーフェイスであったが、冬頃からブル・ブキャナンとのタッグでラッパーキャラにギミックを変えて、ヒールターンする。

上層部の強いプッシュもあり2003年バックラッシュブロック・レスナーの持つWWE王座への挑戦や、ヴェンジェンスでアンダーテイカー、ノー・マーシーではカートといった実力者との対戦が組まれた。この頃から、対戦相手をこき下ろす過激なマイクパフォーマンスが人気となって次第にベビーフェイス以上の声援を受けるようになり、サバイバー・シリーズを前にレスナー率いるヒール軍団との衝突から、ベビーターンする。当初は経験不足からベテラン相手に(実際に上手いとは言えない)反則技を使ったり、タッグ戦では頻繁にフォールされ、その度に相方に妨害してもらうなどの稚拙な一面も目立った(真っ向勝負で知られたクリス・ベノワさえ、シナとのタッグでは頻繁にフォール妨害をしていた)。
US王座戴冠(2004-05)

2004年WrestleMania XXビッグ・ショーに勝利し、US王座初戴冠となった。その後は、レネ・デュプリーブッカー・Tカリートと王座を巡って抗争を繰り広げる。カリートに敗れた直後に、主演映画「The Marine」撮影のため、カリートの手下、ヘスースにバーで刺されて負傷というアングルでしばらく欠場する。11月のサバイバー・シリーズで復帰し、翌週のスマックダウンで、カリートに勝利し、US王者に返り咲く。
WWE王座獲得、そしてトップスターへ(2005-07)

この頃から典型的なキャラクター先行型になり始める。ロイヤルランブルでのランブル・マッチで最後の2人まで残り、バティスタとの勝負に挑むが、同時落下後の再戦で敗れ、優勝を逃す。2月のノー・ウェイ・アウトのWWE王座挑戦者決定トーナメント決勝でカートを破り、WrestleMania 21でのWWE王座への挑戦権を獲得した。その後オーランド・ジョーダンに敗れてUS王座を手放したが、WrestleMania 21でJBLを下し、WWE王者となった。


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