ジョン・ケイ_(飛び杼)
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ジョン・ケイ
1750年代に描かれたジョン・ケイとされる肖像[1]。しかし息子のジョン・ケイともされる[2][3]
生誕1704年6月17日[4]
グレートブリテン王国 ランカシャー、ベリー、ウォルマーズリー
死没1779年頃[5][6][7]
フランス
国籍 イングランド
職業発明家
著名な実績飛び杼
宗教聖公会ハイ・チャーチ[8]
配偶者アン・ホルト[9]
子供Lettice, Robert(drop box を発明), Ann, Samuel, Lucy, James, John, Alice, Shuse, William, (他 幼少期に亡くなった子が2人)[10]
親Robert Kay and Ellin Kay, nee Entwisle
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ジョン・ケイ(John Kay、1704年6月17日 - 1780年)は、イギリス発明家飛び杼(とびひ)を発明したことで知られる。その発明は産業革命に大いに貢献した。ジョン・ケイの名は同名の有名人が数多いためしばしば混同されることがあり[11][12]、特にランカシャーで紡績機を発明したジョン・ケイと混同されやすい[13]
概要

1704年6月17日、ランカシャー地方のベリーの北部、ウォルマーズリーに生まれる[4]。父ロバートはヨーマン(自営農民)で、ウォルマーズリーに「パーク」と呼ばれる屋敷をもち、ジョンはそこで生まれた[14]。なお、父はジョンが生まれる前に亡くなっており、パークは長男が相続している。ジョンはロバートの5男として、14歳までの教育と(21歳のときに渡される)40ポンドの遺産を相続している[15]。そして、母親は再婚するまで彼の教育の責任を負うことになった。
徒弟修行

彼は手織機の筬(おさ)を製造する親方の下に見習いとして入ったが、1カ月後に仕事をマスターしたと主張して家に戻ってしまった[16]。そして金属製の筬を設計し、それがイングランド中で売れるほど人気を呼んだ[12]。兄ウィリアムと共に国中を旅して金属製の筬を作っては織機にとりつけ、ベリーに戻ると1725年6月29日、2人はベリーの女性とそれぞれ結婚。ジョンの妻はアン・ホルトだった[17]

1726年には長女レティス、1728年には長男ロバートが生まれた[18]

ベリーにて織機の改良に取り組み続け、1730年、毛糸を製造する機械の特許を取得した[19]
飛び杼ジョン・ケイが発明した自動織機の飛び杼

1733年[20]、自身最大の革新的発明とも言える手織機用のローラー付きの "wheeled shuttle" の特許を取得[21][22]。これにより経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を素早く通すことが可能となって織りにかかる時間が大幅に短縮され、同時により幅の広い織物を織れるようになった[23][24]。そのため、従来幅広の織機では杼をキャッチする助手が必要だったが、織り手1人で幅広の織機を扱えるようになった[25]

ケイが発明したのは "wheeled shuttle" だが、その動作する様が飛ぶようだったため "fly-shuttle"(後には "flying shuttle")、すなわち「飛び杼」と呼ばれた。特に若い織り手が狭い織機でそれを使う様は次のように描写されている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}想像を絶する速さで、杼はすぐさま消える小さな雲のようにしか見えない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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