ジョン・フィリップ・クロムウェル
John Philip Cromwell
生誕1901年9月11日
イリノイ州 ヘンリー
海軍大佐リスト
指揮:
S-20艦長
第203潜水隊
第44潜水隊
第43潜水隊
部隊:
戦闘:
第二次世界大戦
戦功:
賞罰:
名誉勲章
レジオン・オブ・メリット
パープルハート章
除隊後:
廟 :
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ジョン・フィリップ・クロムウェル(John Philip Cromwell, 1901年9月11日 - 1943年11月19日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大佐。名誉勲章受章者。
第二次世界大戦に活躍したアメリカ潜水艦に潜水隊司令として関わった将校の一人であり、潜水艦「スカルピン」 (USS Sculpin, SS-191) に乗艦中に日本海軍駆逐艦の攻撃を受け、生存者と軍事機密を守るために沈む「スカルピン」と運命を共にした。「グロウラー」 (USS Growler, SS-215) 艦長として戦死したハワード・W・ギルモア(海軍兵学校(アナポリス)1926年組)に似た自己犠牲の精神が評価され、ギルモアと同様に名誉勲章が追贈された。 ジョン・フィリップ・クロムウェルは1901年9月11日、イリノイ州ヘンリー
生涯
前半生
大尉に昇進したクロムウェルは1936年から1937年の間は潜水艦S-20(英語版) (USS S-20, SS-125) 艦長を務め、第4潜水隊司令付スタッフにも就く。1939年に少佐に昇進するとワシントンD.C.の機関局(英語版)と艦船局(英語版)に2年間赴任し、1941年5月からは太平洋艦隊潜水部隊(英語版)の機関参謀を務めた[2]。 1942年から1943年にかけて、クロムウェルは第203潜水隊、第44潜水隊および第43潜水隊司令を歴任し、旗艦を「スカルピン」に指定していた[3]。大佐に昇進後、クロムウェルはウルフパックの指揮を執るため、引き続き「スカルピン」に座乗して出撃することとなったが、これはクロムウェルが経験する最初の戦闘哨戒でもあった[3]。出撃の数日前、クロムウェルは友人でもあった太平洋艦隊情報参謀ウィルフレッド・J・ホルムズ少佐[4]の妻イザベルと一緒に、自分の妻マーガレットと2人の子どもに贈るクリスマス・プレゼントの買い出しに出かけ、プレゼントを購入したクロムウェルはイザベルに、プレゼントをクリスマスの前日に郵送するよう頼んだ[5]。 11月5日、「スカルピン」は新任艦長のフレッド・コナウェイ中佐(アナポリス1932年組)指揮の下、9回目の哨戒で「シーレイヴン」 (USS Searaven, SS-196) 、「スピアフィッシュ」 (USS Spearfish, SS-190) 、「アポゴン」 (USS Apogon, SS-308) とともにトラック諸島近海に向かう。
第二次世界大戦