ジョン・クラカワー
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ジョン・クラカワー

誕生 (1954-04-12) 1954年4月12日(70歳)
マサチューセッツ州ブルックライン
職業ジャーナリスト作家登山家
国籍 アメリカ合衆国
最終学歴ハンプシャー大学
活動期間1990年 -
主題アウトドア
公式サイト ⇒http://www.jonkrakauer.com/
ウィキポータル 文学
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ジョン・クラカワー(Jon Krakauer, 1954年4月12日 - )は、アメリカジャーナリスト、作家、登山家アウトドア登山に関する著作で知られる。全米ベストセラーとなった『荒野へ』、『空へ』、『信仰が人を殺すとき』、Where Men Win Glory 等のノンフィクション作品の他、多数の雑誌で執筆。1996年のエベレスト大量遭難事故の当事者の一人。[1][2]
生い立ち

マサチューセッツ州ブルックラインにて、ユダヤ系で医師の父とスカンジナビア系でユニテリアンの母の間の5人の子どもの3男として生まれる[3]。2歳からオレゴン州コーバリスで育つ[4]。8歳のとき父から登山を教わる[1]。マサチューセッツのハンプシャー大学に進学し、1976年に環境学の学位を取得して卒業[5]。1980年、当時登山家だった妻と結婚。大工や漁師のアルバイトをしながら生計を立てていたが、1983年以降、専業のフリーライターとなる[1][5]ワシントン州シアトルに居住していたが[3]、著書『空へ』の発表以降はコロラド州ボールダーに居住する[1]
登山活動

大学卒業後、アラスカのスティキーン氷帽で3週間を一人で過ごし、デビルズサムを新ルートで登頂した。この経験は『エヴェレストより高い山』『荒野へ』で描かれている。1992年には最も登頂困難とされるパタゴニアアンデスのセロトーレを制覇した[6]

1996年、ガイド付きでエベレスト登頂を達成。しかし下山中に嵐に見舞われ、クラカワーのチームでは(リーダーであったロブ・ホールを含む)4人が死亡した。この事故は1996年のエベレスト大量遭難として知られる。事故についての赤裸々な回想をアウトサイド誌に書き、後に著書『空へ』となった。

このシーズンには計15名が死亡し、一年間の死者数としてエベレスト登山史上最悪の記録となったが、後に2014年の雪崩での16人、2015年の地震による雪崩での19人と記録は更新されている。

また、この事故の影響で長年、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでおり、エベレスト登頂は人生最大の過ちだった、過去に戻れたら登頂しなかったろうと語っている[7]
ジャーナリズム2009年のクラカワー

最もクラカワーの人気を高めたのはアウトサイド誌での執筆であるが、題材は登山のみならず多岐にわたり、アーキテクチャル・ダイジェスト誌、ナショナル・ジオグラフィック誌、ローリング・ストーン誌、スミソニアン誌にも寄稿している[6]。1992年上梓の『エヴェレストより高い山』は1982年から1989年までの執筆記事をまとめたものである[8]

事故に遭遇したエベレスト登頂ではアウトサイド誌の記者として参加しており、エベレスト商業登山の様子を、自身がいたロブ・ホール隊とスコット・フィッシャー隊の2チームについて書くことになっていた[5]。両チームともクライアントを登頂させることには成功したが、下山途中で深刻な事態に陥った。クラカワーの見解によれば、嵐に加えて、両チームのガイドらの軽率な判断が、彼ら自身および多数の登山者の死を招く原因となったという。生還者への多くのインタビューも付された著書『空へ』の巻頭では、(特にアンディ・ハリスの死に関して)短い記事だけでは事件をつまびらかにすることはできなかったと述べている。

エベレスト登頂の商業化そのものについては「他の山とかなり状況が異なる」としながら「そもそも裕福なイギリス人がアルプスの地元民を雇ってガイドさせたのがスポーツとしての登山の始まりであり、ガイド付き登山は長い歴史がある。まして世界最高峰となれば、ガイドを付けることを悪くなど言えない」と否定はしていない[9]
書籍
『エヴェレストより高い山 ―登山をめぐる12の話』

(原題:Eiger Dreams)1990年出版。登山やロッククライミングの記事やエッセイをまとめたノンフィクション。内容は、スイス・アルプス山脈のアイガー北壁、アラスカ山脈のデナリ、カラコルム山脈のK2への登頂から、旅路で出会ったジョン・ギルなど有名なロッククライマーについてなど様々。
『荒野へ』

(原題:Into the Wild)1996年に出版され、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストを2年飾ったノンフィクション。東海岸の裕福な家の出身の青年クリストファー・マッカンドレスが、1990年にエモリー大学を卒業後、銀行口座の全額(2万4千ドル)を人道支援団体オックスファムに寄付、自身を「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗ってアメリカ西部の旅に出た話を時系列交錯的に綴っている。マッカンドレスは1992年8月にアラスカ州デナリ国立公園のWentitika湖の近くで餓死しているのを発見された。本書ではマッカンドレスの体験およびクラカワー自身の体験や、他の冒険談が並行して描かれる。2007年にはショーン・ペン監督による本書を原作にした映画『イントゥ・ザ・ワイルド』が公開された[10]

当書籍、映画に登場する朽ちたバスを目当てに現地を訪問する観光客が遭難。2020年、バスはアラスカ州兵のヘリコプターで現地から撤去された[11]


『空へ ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』

(原題:Into Thin Air)1997年出版。1996年のアウトサイド誌での記事をさらに掘り下げて書いた、クラカワーの最も有名な著書。登山隊での体験や、当時のエベレスト登頂に関する一般的状況が描かれている。クラカワーは雑誌の記者として雇われ、1996年、ロブ・ホール率いるエベレスト登頂隊に顧客として加わったが、1996年エベレスト大量遭難という多数の死傷者を出す結果となった。

本書はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのノンフィクション部門第一位となり、タイム誌のブック・オブ・ザ・イヤーを受賞した。また、1998年のピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門の最終候補3作品に入選した[12]。1999年のアメリカ芸術文学アカデミーは文学賞授与理由の中で「ジョン・クラカワーは調査報道がもつ執念深さ・勇敢さという素晴らしい流儀に、天性の作家がもつスタイリッシュな機微と深い洞察を併せ持つ。エベレスト登頂についての記述は、登山と、かつてロマンチックで孤独だったそのスポーツの商業化に対する再評価に繋がった」と本書を評した[13]

クラカワーは亡くなったメンバーへの弔いとして、本書の印税から「エベレスト98年メモリアルファンド」を立ち上げ、様々なチャリティ団体に寄付を行っている[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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