ジョン・オズボーン_(第11代リーズ公爵)
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第11代リーズ公爵ジョン・フランシス・ゴドルフィン・オズボーン(英語: John Francis Godolphin Osborne, 11th Duke of Leeds、1901年3月12日 ? 1963年7月26日)は、イングランド貴族。1901年から1927年までカーマーゼン侯爵の儀礼称号を使用した[1]
生涯

第10代リーズ公爵ジョージ・ゴドルフィン・オズボーンと妻キャサリン・フランシス(Katherine Frances、旧姓ラムトン(Lambton)、1862年9月5日 ? 1952年12月6日、第2代ダラム伯爵ジョージ・ラムトン(英語版)の娘)の息子として、1901年3月12日にイタリア王国ボルディゲーラで生まれた[1]イートン・カレッジケンブリッジ大学ジーザス・カレッジで教育を受けた[1]

1927年5月10日に父が死去すると、リーズ公爵位を継承した[1]。しかし、父がギャンブルにより多額の負債を残したため、1930年に所領のホーンビー城(英語版)を解体・売却せざるを得ず[2]、自身は南フランスコート・ダジュールに引っ越した[3]

1933年3月27日にイルマ・デ・マルコゾーニ(英語版)と結婚した[4]。イルマはセルビア人のバレーダンサーだったが、アメリカの富豪フランク・アサートン・ハワード(Frank Atherton Howard)と駆け落ちしたため、2人は1947年に離婚した[3][4]。リーズ公爵は1948年12月21日にオードリー・ウィリアムズ(Audrey Williams、アーサー・エヴァンス・ベッドワード・ウィリアムズの元妻、デズモンド・ヤングの娘)と再婚して、1女をもうけた[4]

カミラ・ドロシー・ゴドルフィン(英語版)(1950年8月14日 ? ) - 1971年、ロバート・ジュリアン・ブランロー・ハリス(Robert Julian Brownlow Harris、クリストファー・マネー・ハリスの息子)と結婚して、子供をもうけたが、2人は1976年に離婚した。1977年、ナイジェル・デンプスター(英語版)(1941年11月1日 ? 2007年7月12日)と再婚して、子供をもうけたが、2人は2002年に離婚した

リーズ公爵はオードリーとともにジャージー島に引っ越したが、オードリーが近衛連隊の士官と不倫関係をもったため[3]、2人は1953年に離婚した[4]。リーズ公爵は1955年2月22日にキャロライン・フルール・ヴァッチャー(英語版)(2005年7月16日没)と再婚した[4]リーズ公爵が売却した、フランシスコ・デ・ゴヤによる初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの肖像画。1812年から1814年ごろの作品。

1961年、フランシスコ・デ・ゴヤによる初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの肖像画をオークションで売却した[5]。アメリカの美術収集家チャールズ・ビアラー・ライズマン(英語版)が14万ポンドで落札したが、イギリス政府が介入してアメリカへの売却を阻止、代わりに政府が同じ金額をリーズ公爵に支払って絵画を購入するとした[5]。絵画はロンドンナショナル・ギャラリーで展示されることになったが、8月21日に盗難された[5]。以降しばらく行方不明になり、王立芸術院会長を務めたことのあるサー・ジェラルド・ケリー(英語版)が1964年に絵画がゴヤの作品ではないと主張する事件も起こった[5]。1965年初、『デイリー・ミラー』紙の編集部が犯人に絵画の返還を呼びかけるキャンペーンをはじめ、犯人はこれに応じて同年5月5日に匿名で絵画を返還した[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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