イギリスの政治家初代キンバリー伯爵
ジョン・ウッドハウスJohn Wodehouse
1st Earl of Kimberley
1897年のキンバリー伯
生年月日1826年1月7日
出生地 イギリス、ウィモンダム
初代キンバリー伯爵ジョン・ウッドハウス(英: John Wodehouse, 1st Earl of Kimberley, KG, PC、1826年1月7日 - 1902年4月8日)は、イギリスの政治家、貴族。
ヴィクトリア朝中期から後期にかけて自由党政権で閣僚職を歴任した。
経歴1868年のキンバリー伯
1826年1月7日に第2代ウッドハウス男爵ジョン・ウッドハウスの長男であるヘンリー・ウッド閣下(Hon. Henry Wodehouse)とその夫人アン・ガードン(Anne Gurdon)の間の長男として生まれる[4]。
イートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学する[4]。
自由党政権下で外務省政務次官(英語版)(1852年-1856年、1859年-1861年)、インド担当省政務次官(英語版) (在職1864年)、アイルランド総督(1864年-1866年)、王璽尚書(1868年-1870年)、植民地大臣(1870年-1874年、1880年-1882年)、インド担当大臣(1882年-1885年、1886年、1892年-1894年)、ランカスター公領大臣(1882年-1883年)、枢密院議長(1892年-1894年)、外務大臣(1894年 - 1895年)などの閣僚職を歴任した[4][5]。
彼がインド担当大臣として入閣していた第二次グラッドストン内閣期の1884年3月、スーダン・ハルトゥームでチャールズ・ゴードン将軍がマフディー軍に包囲され、ゴードン将軍を救出する援軍を派遣するか否かの閣内論争が発生したが、キンバリー卿は、首相グラッドストンや内相サー・ウィリアム・ヴァーノン・ハーコートとともに最後まで援軍派遣に反対した(最終的には援軍派遣が決定されるが)[6]。
1902年4月8日に死去[4]。 1846年5月29日に祖父ジョン・ウッドハウスの死去により以下の爵位・準男爵位を継承した[4][7]。
栄典
爵位・準男爵位