ジョン・ウィンスロップ_(マサチューセッツ湾植民地知事)
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ジョン・ウィンスロップ
John Winthrop


第2代、第6代、第9代、第12代 マサチューセッツ植民地総督
任期
1630年 ? 1634年
前任者ジョン・エンデコット
後任者トマス・ダドリー
任期
1637年 ? 1640年
前任者ヘンリー・ベイン
後任者トマス・ダドリー
任期
1642年 ? 1644年
前任者リチャード・ベリンガム
後任者ジョン・エンデコット
任期
1646年 ? 1649年
前任者トマス・ダドリー
後任者ジョン・エンデコット

個人情報
生誕1587/8年1月12日
イングランド王国 サフォーク州エドワードストーン(英語版)
死没 (1649-03-26) 1649年3月26日(61歳没)
イギリス領北米植民地 マサチューセッツ湾植民地ボストン
配偶者メアリー・フォース
(m. 1605; d. 1615)
トマシン・クロプター
(m. 1615; d. 1616)
マーガレット・ティンダル(英語版)
(m. 1618; d. 1647)
マーサ・レインズボロ (m. 1648)
専業弁護士
署名

ジョン・ウィンスロップ(: John Winthrop、ユリウス暦1588年1月12日 - 1649年3月26日[1])は、17世紀ピューリタン新世界に導いた政治家である。1629年マサチューセッツ湾植民地に加わり、1630年4月8日に最初の知事に選ばれた。1639年から1648年の間に投票で知事を辞めさせられたこともあったが、再選もされ、全部で12回選ばれた。政治家として尊敬される人物であるが、1634年に議会を創ったときの頑固さでは批判された。
伝記

ウィンスロップはイングランドサフォーク州エドワードストーンで、アダム・ウィンスロップ(1548年 - 1623年)とその妻アン・ブラウンの息子として生まれた。祖父のアダムは16世紀初頭に農業を離れ、織物職人となり成功した人物で、サフォークのグロトン荘園を購入するほど裕福になり、紋章も得た地元の名士であった。ジョンはグロトン荘園で不自由なく成長した[2]

15歳の時にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに2年間通い研修を積み[2]、グレイズ・インで法律を学び、1620年ロンドンの地区裁判所で弁護士になった。極端に信仰心が厚く、イングランド国教会カトリックの儀礼を取り去らねばならないというピューリタンの信条を熱心に信奉した。神が異端であるイングランドを裁くと確信し、イギリスのピューリタンは神の怒りの時に備えて安全で居られる所へ逃げ場を求める必要があると信じた。

1629年初頭の時点で、ウィンスロップ家と親しいピューリタン商人たちが「ニュー・イングランド会社」を作って、植民事業に手を染めていた[3]が、3月4日、勅許を得て「マサチューセッツ湾会社」に改名した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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