ジョルダーノ・ブルーノ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

サッカー選手「ブルーノ・ジョルダーノ」とは別人です。

この項目では、人物について説明しています。クレーターについては「ジョルダーノ・ブルーノ (クレーター)」をご覧ください。

ジョルダーノ・ブルーノ
Giordano Brunoジョルダーノ・ブルーノ
生誕1548年
ナポリ王国 ノーラ
死没1600年2月17日
教皇領 ローマ
時代ルネサンス哲学
地域ヨーロッパ
研究分野哲学
自然哲学
天文学
記憶術
影響を受けた人物

イブン=ルシュド
ニコラウス・コペルニクス
ニコラウス・クザーヌス
ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ
マルシリオ・フィチーノ
ライムンドゥス・ルルス
ピコ・デラ・ミランドラ
ジュリオ・カミッロ

影響を与えた人物

ニコラ・アントニオ・スティリォーラ
ゴットフリート・ライプニッツ
バールーフ・デ・スピノザ
ジェイムズ・ジョイス
ウンベルト・エーコ
アルトゥル・ショーペンハウアー
ジョルジョ・アガンベン
ハンス・ブルーメンベルク

テンプレートを表示

ジョルダーノ・ブルーノ(イタリア語: Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士
生涯
ナポリ時代(1548年?1575年)

1548年にナポリ王国ノーラ(現在のイタリアカンパニア州)で生まれた。もともとはフィリッポ・ブルーノ (Filippo Bruno) という名前であり、父ジョヴァンニ・ブルーノは兵士であった。1562年、14歳のときナポリに移り、ナポリ大学で学んだ。1565年、17歳でドミニコ会に入会、ジョルダーノを名乗った。1572年に司祭に叙階され、1575年にはトマス・アクィナスおよびペトルス・ロンバルドゥスについての論文によって神学博士となった。

ブルーノがトマス・アクィナスへ向けた尊敬は生涯にわたるものであったが、ナポリ時代にすでに独自の思想を育みはじめていた。エラスムス偽ディオニシウス・アレオパギタニコラウス・クザーヌスライムンドゥス・ルルスなどの神学者たち、プラトンおよび新プラトン主義プロティノスポルピュリオスイアンブリコスプロクロスなど)やエピクロス主義(とくにルクレティウス)やピュタゴラス主義セネカといった古代哲学、さらにはヘルメス主義アヴィケブロンクレスカスなどのユダヤ人哲学者の思想やカバラアヴェロエスはじめアラビア思想、フィレンツェ・プラトン主義(マルシリオ・フィチーノピコ・デラ・ミランドラ)というように、ブルーノの哲学思想の源泉は多岐にわたっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef