ジョルジュ・ルーキエ
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ジョルジュ・ルーキエ(Georges Rouquier、1909年 - 1989年12月19日)は、フランス俳優映画監督である。そのオリジナルなドキュメンタリーはシネフィルに崇拝されている。
来歴・人物

1909年エロー県リュネルヴィエルに生まれる。

特筆すべき作品は、彼のディプティック(関連のある二作品、二部作)である『ファルビーク Farrebique』(そして38年後の作品『ビクファール Biquefarre』)である。アヴェロン県Goutrensで非俳優の家族や隣人を出演して撮ったものであり、戦後の同県ルーエルグの農民生活の年代記と関連のあるドキュメンタリー的フィクションである。

有名なダイアローグライターのアンリ・ジャンソンによって非難され、論争的な作品であったにもかかわらず、選にもれ、カンヌ国際映画祭のコンペティション外で上映された。同作は、プレミア上映の前にパリオペラ座で、ヴァンサン・オリオール大統領の指令のもとポール・ラマディエを補佐し、全ルーキエ作品と同様にパリ在住のアヴェロン人に紹介された。同作のために特別に創設された賞「国際批評家賞」を受賞した。

アメリカの映画配給会社RKOが同作の権利を購入、配給し、パリの映画館マドレーヌで上映した。それと同時に、同社はウォルト・ディズニーの『ラテン・アメリカの旅』を国内配給した。『ファルビーク』は、わずか一週間で入場人員数でトップを超え、ジョルジュ・ルーキエの価値を上げ、カンヌでの区別のほかに、フランス映画大賞、ヴェネツィア国際映画祭金メダル、ローマでの金のエピ大賞を受賞した。

『ファルビーク』は、つづいてアメリカの大学でジャンルのモデルとして研究され、フランシス・フォード・コッポラスティーヴン・スピルバーグがそれを支援し、大学の援助を得て、ルーキエは「国立文化基金」によるアメリカ資本の資金供給を受け、1983年、最後の長篇映画『ビクファール』を撮る。前作と同じ役を地方の同じ非俳優の出演によってこのドキュメンタリー的フィクションを実現し、世界の農民と現在の彼らの問題を1980年代に撮影した。

同様に、ルーキエの職業についてのドキュメンタリーは、フィクションとドキュメンタリー的リアリティの間をつねに揺れ動き、評価された。ロバート・フラハティ監督の『極北のナヌーク Nanouk l'Esquimau』がつけた刻印を、ルーキエはそのドキュメンタリー作品を通して、つねにオマージュを返す。そしてルーキエによる映画的な引用についても同様である。チャーリー・チャップリンジガ・ヴェルトフアレクサンドル・ドヴジェンコセルゲイ・エイゼンシュテインマルセル・カルネといった映画作家を決してコピーすることなく、個人的で独創的なひとつのスタイルを主張した。

1989年12月19日、死去。80歳没。
フィルモグラフィ
重複は避けた

テレビ映画プロデューサー

Les Saisons et les Jours
 1972年 - 1973年 ORTFla 3eme chaine(リール局)製作

監督

Vendanges
 1929年 ※最初の短篇監督作

le Tonnelier ドキュメンタリー 1942年

Le Charron、La part de l'Enfant、L'Economie des Metaux 1944年 短篇 ※義務的社会奉仕(STO)について

ファルビーク Farrebique 1946年 監督・脚本 ※第1回カンヌ国際映画祭FIPRESCI賞

L'?uvre scientifique de Pasteur 1948年 共同監督ジャン・パンルヴェ

Le Chaudronnier 1949年 ※受注作品

Le Sel de la Terre 1951年 ※「モネ・プラン」の恩恵を示すためのカマルグについての映画

Operation du Spondylogisthesis、Arthroplastie de la hanche 1951年 ドキュメンタリー ※ルーキエ初のカラー作品

Un Jour comme les autres ドキュメンタリー 1952年 ※予防と労災事故について

Le Lycee sur la colline ドキュメンタリー 1952年 ※フランス国民教育省のための映画

Sang et lumieres(Sangre y luces) 1953年 原作ジョゼフ・ペイレ ※批評を語る商業映画、第7回カンヌ国際映画祭コンペティション部門上映

Malgovert 1953年 ※ティーニュのダムについての「産業」映画

Lourdes et ses miracles 1954年 助監督ジャック・ドゥミ ※三部作

La Bete noire 短篇 1955年 ※ルノー「フリゲート」について

オネゲル Honegger 1955年 ※1957年度ヴェネツィア国際映画祭受賞

S.O.S. Noronha 1957年 監督・脚本 共同脚本ボワロー=ナルスジャック

Une Belle Peur 短篇 1958年 ※予防と偶発事故について

Le Bouclier 短篇 1960年 ※予防と警備について

Sire le Roy n'a plus rien dit 短篇 1963年 ※17世紀 - 18世紀のフランス系カナダ人の家具について

Le Marechal ferrant 短篇ドキュメンタリー 1976年 ※1977年度セザール賞短篇ドキュメンタリー賞受賞

ビクファール Biquefarre 劇映画 1983年 監督・脚本 ※[ヴェネツィア国際映画祭ドキュメンタリー賞受賞

出演

ロワール渓谷の木靴職人 Le Sabotier du Val de Loire 
1957年 監督ジャック・ドゥミ

Lettre de Siberie 1957年 監督クリス・マルケル ※声の出演

冷淡な美男子 Le Bel indifferent 短篇 1957年 声の出演・製作 監督ジャック・ドゥミ、原作ジャン・コクトー、美術ベルナール・エヴァン

Mandrin 1965年 監督ジャン=ポール・ル・シャノワ ※ヴォルテール

Pitchi-Poi 1967年 原作フランソワ・ビエドゥー ※17か国で撮影された欧州放送連合のテレビドラマ。マチュー役

ジェフ / ダイヤモンドは血の匂い Jeff 1968年 監督ジャン・エルマン、主演アラン・ドロン ※ジェフ役

Z Z 1969年 監督コスタ=ガヴラス ※検事総長役

もう森へは行かない Nous n'irons plus aux bois 1970年 監督ジョルジュ・デュムーラン ※医者役

フラマン派の密約 Le Secret des Flamands テレビ映画 1972年 画家バテスティーニ役

題名不詳、1970年代 監督ピエール・ラリー ※レオナルド・ダヴィンチ役

L'Amour nu 1981年 監督ヤニック・ベロン、主演ジャン=ミッシェル・フォロン

受賞歴

Prix de la Critique Internationale、
カンヌ国際映画祭

Grand Prix du Cinema Francais

Medaille d'or、ヴェネツィア国際映画祭

Grand Epi d'or、ローマ国際映画祭

参考書籍

Georges Rouquier Cineaste Poete & Paysan、Dominique Auzel著、Editions du Rouergue刊、1993年

関連事項

diptyque


Goutrens

ルーエルグ(Rouergue)

ヤニック・ベロン(Yannick Bellon)

ピエール・ラリー(Pierre Lary)

ジャン=ミッシェル・フォロン

フランソワ・ビエドゥー(Francois Billetdoux)

ジャン=ポール・ル・シャノワ(Jean-Paul Le Chanois)

アンリ・ジャンソン(Henri Jeanson)

アメリカ国立文化基金(National Endowment for the Humanities)

アレクサンドル・ドヴジェンコ(Alexander Dovzhenko)

外部リンク

ジョルジュ・ルーキエ
- IMDb(英語)

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