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ジョルジュ・ポンピドゥー
Georges Pompidou
フランス
第19代大統領
任期1969年6月20日 – 1974年4月2日
首相ジャック・シャバン=デルマス
ピエール・メスメル
フランス
第2代首相
任期1962年4月14日 – 1968年7月10日
大統領シャルル・ド・ゴール
出生 (1911-07-05) 1911年7月5日
フランス カンタル県モンブディフ
死去 (1974-04-02) 1974年4月2日(62歳没)
フランス パリ サン=ルイ島
政党フランス国民連合
新共和連合
出身校ルイ・ル・グラン校
高等師範学校
配偶者クロード・ポンピドゥー
子女アラン・ポンピドゥー(養子縁組)
アメリカのニクソン大統領と(1973年5月31日・アイスランドのレイキャビクにて)
ジョルジュ・ジャン・レイモン・ポンピドゥー(フランス語: Georges Jean Raymond Pompidou [???? p??pidu] ( 音声ファイル)、1911年7月5日 - 1974年4月2日)は、フランスの政治家。シャルル・ド・ゴール政権で第2代フランス首相、第19代フランス大統領を務めた。日本の報道関係では慣用的にポンピドーと表記することが多い。また、ポンピドゥ、ポンピドウなどの表記もある。 1911年7月5日にカンタル県モンブディフにて、両親が教育者の家庭に誕生。パリの名門リセであるルイ・ル・グラン校で学んだ。1931年にパリの高等師範学校に入学し、1934年には文学のアグレガシオン(1級教員資格)を取得する。卒業後はまずマルセイユで、次いでルイ・ル・グラン校と並ぶパリの名門リセ・アンリ4世校で教鞭を執った。 第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加。パリ解放後はシャルル・ド・ゴール将軍首班の政府において官房長官の職に就き、国務院調査官などを経て、1954年2月から北部鉄道取締役となった。この縁でロスチャイルド銀行(フランス:ロチルド銀行、後のバークレイズ)で働くようになり、1958年まで頭取を務めた。1958年にド・ゴールが首相として政界復帰を果たすと官房長官を務めた後、ド・ゴール大統領政権で1962年4月16日から1968年7月13日までフランス首相を務めた。 ド・ゴール引退後の1969年6月15日の大統領選挙において、ポンピドゥーは58.22パーセントの得票率で当選した。ド・ゴールの後継者として登場しつつも、「連続と開放」を掲げていくつかの点で軌道修正を図った。
生涯